マージナルであること

 マージナル(marginal)でなにがわるい!って誰も,私をマージナルだと否定的に言ってはおりませんところで一人で息巻くのはおかしいですな(笑)。
 なんでとつぜんこんなことを書くかというとですね。。モロッコ最終日の朝,通訳をしてくださっていた方に,「あなたの研究,図書館の開発支援の研究とかってだいじだけど,しかし,あくまでもマージナルだよね」ってなことを言われたわけですね(この話にはもちろん前後があり文脈がありましたが,ここでは省略いたします)。私は,これを聞いて,このモロッコ調査の旅をつらぬくキーワードだったのはこのひと言だったと,つくづく思ったわけであります。私が(学校)図書館開発支援の研究に昨年,着手したこと,はたまたそれよりもっと前の話,修士課程に進学して図書館学をもっと学ぼうと思ってそうしてきたこと,この間,ずっとずっと私の底流を流れてきたのは,私の中の,自分がマージナルなところの人だっていう気もちだったのではないか,とすら,思ってしまったのです(笑)。後づけですがね。
 エラシディアのはずれの砂漠の真ん中で,アマジール(Amazigh)のおじさんたちに囲まれて,通訳の方を介し,だけれども思いっきり体つかって会話して,彼らの思いを聞いて,幸せでした。私(中村)は,マージナルな人じゃない,と思う人(他者)もいると思いますが,私の自意識はマージナルなんですよ,っていうことに,このグループの中にいて,改めて気づいてしまったわけですね。私の心の琴線に彼らの思いが,生活が,ふれたわけです。(ま,私の心にお琴のような繊細なものがあるかはわかりませんが。)
 こういうマージナルなところにいるっていう意識って,もっている人って少なくないのかな?私だけ,と思っていたら,案外いるのかな。もしかして,誰もがもつものだったりして??もう少しいろんな人と話ししてから,この話題,改めて書きたいと思っています。
 この調査の旅の間に何冊か本を読んだのですが,この私のマージナル問題(笑)を考える同伴者だった一冊として,ベネディクト・アンダーソン著,加藤剛訳『ヤシガラ椀の外へ』NTT出版,2009.があり,この本,とってもおもしろかったので,ご推薦いたします。内容は,アカデミアの話題が中盤続きますが,人との出会い,本との出会い,人生というもの,について考えさせてくれる一冊と思います。最近,私は,ライフヒストリー研究にとても興味をもっていて,少しずつはじめているわけですが,この一冊は,そういう観点からも,興味深かったです。
 そういえば,モロッコから帰国の前夜に,ホテルでテレビを見ていたら,ホイットニー・ヒューストンのお葬式をずっとライブ中継してた。日本でそういう中継があったのかわかりませんが,見た方,いらっしゃるかと思いますが,すごかったですね。すばらしかった。私は,バプティスト福音派)の教会のお葬式ってはじめて見たのですが,こういうお葬式を非常識とかあり得ないとか思う人もいるかもしれませんが,私は個人的には,こういうお葬式ならしてもらいたいなっていうお葬式をはじめて見たかもという感じでした。歌あり笑いあり,でした。見ながら,会ったこともない彼女のお葬式にさんざん泣いて,人生の終わりをこう迎えたいものだ,などと。。ばかばかしいかもしれないですね,わたし。
 またまたまとまりませんが,今日はこのへんで。明日から,陸前高田へ。そして,戻りましたら,バルセロナに調査に参ります。今月の自宅にいなさかげんたるや,異常です。