ジェンダーと学校図書館:職員のはなしから

 昨日、日本学術会議社会学委員会複合領域ジェンダー分科会主催の公開シンポジウム「雇用崩壊とジェンダー」に行ってみました。どんなのかを知りたい方は、こちらの日本学術会議の公開講演会・シンポジウムのページの10月13日のところのリンクをクリックしてごらんくださいませ。このページ見ると、ものすごい数の、おもしろそうな、社会と学術界との対話が各地で、毎日のように開催されているのねえ、と改めて。
 それで、「雇用崩壊とジェンダー」でいろいろな方たちのご発言にふれ、今般、法制化が話題のいわゆる学校司書の職員制度って、まさらにジェンダーの問題と漠然と思っていたのが、少しは構造的にわかってきた気がします。いわゆる学校司書の方たちの何パーセントが女性なのか、どこかにデータ無いでしょうか。。
 先日、とある児童図書館に行ったら、もう事務室に10人とか女性だけ。つい「はあ〜、見事に女性ばっかりですねえ」と言ったら、「お給料が低いですから」との司書の方、即答。え〜、これは、お給料が低いから(収入のある男性の配偶者の)女性が増える、または、お給料が低くてもこの仕事をしたいという人には(理由はとりあえず議論しないでおいて)女性が多い、ということ?または、女性が多いから(これまた理由はとりあえず議論しないでおいて)低賃金に据え置かれる?よくわかりませんけれど、この「女性が多いのは賃金が低いから」「賃金が低いから女性が多い」という発言って、ほんと児童サービスや学校図書館関係者と話していて、過去にもなんども聞いている。だけれども、それに対して、なにかおかしいよね、という声が出ることはほとんどない、気がする。吉田右子さんが、この問題の研究をはじめておられると思っているけれど、、わたくしももっと関心をもった方がいいなあ。
 あとですね、このシンポジウムでは、なんども、日本の特殊性が、(後進性というようなニュアンスで)欧米各国との社会調査の結果の比較でされていて、ま、わたくしはああいう統計というのは、ぱっとスライドで見せられても考えはじめるとこう疑問でいっぱいになりますので、なんともよくわからないところがありますが、統計の結果をぱっと見ると国際比較ですぐに日本はこの変なとこにあるのだなと見つかる、という趣旨のご発言があり、ま〜、日本の学校図書館の特殊性とか、わたくしの日本型ってどのようなものかみたいな探究の作業とか、と共通してるんだな〜と思いました。あと、「差別」という概念が日本ではきちんと理解されていない、そこから話していかないといけない、というご発言があり、わたくしもそのあたりを最近、考えていたところで、大きくうなずいてしまいました。「差別」というか、人間の平等ということが、難しい言葉でどう語るかというのだけではなく、こう、腑に落ちていない人が多い、それが図書館のあり方とか雇用のあり方とかに影響しているんじゃないの、ということであります。人間って、生きてるだけで、一人ひとりが、だれでも、等しく、エライの!それだけのことだけど。だけど、古代ギリシャからの民主政治の伝統があり、キリスト教の愛の伝統がある西欧と、天皇おわします日本とでは、人権理解の深みは違ってくるということよね、、

(2012.10.16追記)今道友信先生が亡くなられたことを、今、この記事で知りました。私の学部時代、隣の学科で哲学を教えておられました。14日に、今道先生のゼミ生だった友人と、お見舞いに伺いたいねと話していたところだったので、びっくりでした。この半年くらい、今道先生のことがたびたび思い出されて、『西洋哲学史』(講談社学術文庫)をなんどか読み返していました。西欧を理解するための基本書じゃないかと思います。『愛について』(中公文庫)、『美について』(講談社現代新書)、『エコエティカ』(講談社学術文庫)も、すてきです。『同一性の自己塑性』(東京大学出版会)は、この世の真理はこれに尽きると思わされる世紀の一冊かと。西欧の哲学を理解したい方は、今道先生のご本を一度、手にとってみてください。