特定秘密保護法案

 反対しています。
 私は、アメリカのNARAで開示された占領軍側の文書を見て博士論文を書きました。何度も通っていて、偶然、NARAに勤務する職員の方と私的に話をする機会を得ました。言葉を濁していましたが、時間の経った秘密文書の公開の可否を判断する業務に従事しているんだなと私には思えるような会話がありました。こういう部署(情報安全保障監督局)で業務に従事してたのでしょうか、わかりません。身体の使い方、話し方から言って、軍人さんだったと思います(話しているときには、CIAの職員ってこんな雰囲気かしらと思ったほどの緊張感があったと記憶しています。すごく印象的な人でした)。占領軍の米軍関係者の動き方について私は調べていたわけですが、確かによく分類されているんですね、彼らの公文書は。それは内容からだけでなく、秘匿の重要性の度合いによっても。こういうシステムが、日本では、公文書管理法の定めの先、国際比較で見て、どこまできちんとしたものができてきているのかなと思います(内閣府のこちらのページに、公文書管理法施行の前後についてはいちおうまとまった情報がありますが)。特定秘密保護法案の議論に、公文書館、図書館の専門職が参加してよいのではとも思います。特に2000年を過ぎたころから、情報公開とプライバシーの対立(バランス)が日本でも熱心に議論されてきたと認識していますが、今度は情報公開と安全保障の対立(バランス)が改めて議論されているということですね。ちょっと話戻って、今、急いで検索した範囲でですが、数年前のものですが、沖縄県公文書館で開かれたNARAスタッフによる講演記録は、アメリカの公文書管理のあり方のよい紹介になっていると思います。
 数週間前に、NHK BS1ドキュメンタリーWAVEで、「破壊都市デトロイトで生きる〜アメリカ・ミシガン州〜」を観ました。後半部で、SOUPという活動が紹介されていました。SOUPの集まりは、入り口で5ドルを献金して入ります。地域をよくするためのアイディアを持ってきた人はプレゼンをします。それを見て、参加者はいっしょにポットラック(持ち寄り)の食事をし、意見交換をします。最後に投票があって、プレゼンの中から、同日集まった献金をもらってアイディアを実行する人たちが決まります、というような流れになっています。このドキュメンタリを見ながら、すげ〜〜、アメリカの民主主義ってほんと草の根で、アメリカ社会そのものなんだな〜〜、どんなときにも、コミュニティの行動様式として現れてくるんだな〜〜、と改めて感心してしまいました。
 石破茂氏のふるまいと並べて見ると、日本では、民主政治とは、もしかしたら私を含めて、多くの人にとってまだ本当には腑に落ちたものではないのかもと。。

 以下、余談(?)。司書って、集めて分類したくなる性向をもつ人が多いかなって思うんですが、私は集めるより分類に興味があるかなあなどとこれまで考えておりました。最近、そんな自分に疲れてきたのか、ミニマリズムにも関心が!こんな気分。

(2013.12.6追記)この段階になって、日本図書館協会の図書館の自由委員会から声明が出ましたね。学校司書の件では協会理事長名で文書を出していて、今回は委員会から出てるんですね、、、、、。日本アーカイブス学会は意見表明が比較的早かった。このあたりの動きで、戦後の日本の図書館が終わったと感じます。