ベイマックスにアメリカを見る

 複数のタスクを抱え脳内が錯綜していたので、思い切ってescapeして、ベイマックスを観てきました。観終わってすぐの感想が、「こういう映画は日本からは生まれないわ。」でした。近代の図書館の思想を理解したければ、アメリカ文化を知る必要があるというのが私の(少し乱暴な)考えですが、この映画からも図書館を考える、いや、感じることができる。
 もっとも、今回、観る場所と時間の選択肢がなかったので、吹き替え版で観たので、ちょっと理解が及んでいないところがある可能性がありますが。アナと雪の女王の原タイトルがFrozen、ゼログラビティの原タイトルはなんと正反対のGravity。ベイマックスはBig Hero 6ですよね。原語(原タイトル)には意味が含まれているのに、恐ろしい翻訳になっていたりするのでね。
 ベイマックスの主人公の背景設定(生育環境)からはじまって隅々に公共性に関わるメッセージがある。そしてこの構想力。これは社会構想力とも関係している。いっしょに観に行った人が、ディズニー映画の作成現場のドキュメンタリで、ティームで仕事していたのが印象的だったという話をしてくれた。誰か一人のカリスマ?で作られたアニメじゃないってことだと思う。社会を作っていくっていうことも、そういうことだよね。
 アメリカがすべてよいなんて思う人はいないだろうし、私もそんなこと思ってるつもりはないけれど、この社会構想力とか、単純すぎるくらいの希望の提示とか、私は嫌いじゃないね。

追記、そういえば、主人公は一回のプレゼンで大学に入っちゃう。今年、R研究所の事件があり、その主人公と考えられる女性がAO入試で大学に入ったということも話題になっていた。しかしAOみたいな選抜が悪いんじゃないと思うんだよね。まず、アメリカは大学を出ることが簡単にはできないこととセットで入学が柔軟になっているというのと、こういうことを起こす人間はゼロにはできないのじゃないかと思うから、現れたときにきちんと処分していくことが重要ということとを、考えますね。