「新陸前高田市立図書館基本構想」

 標記の構想案が公表されていて、今、パブリックコメントが募集されていますね。この案が作成されるにあたって行なわれたらしいアンケート結果がすごく興味深いです。住民の属性も、東京にいる私の目にはなるほどという思いですし、回答も、率直ですごく興味深いです。こちらで公開されています。

 それにしても、まったくの別件ですが、昨日の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会見を見ていたら、昨年の理研の会見を見ているのかとデジャヴュを。なにかを検討したり実施したりするときに設置される委員会がどこもかしこもお手盛り感いっぱいで、ほんとうに議論する気なんかないんじゃないの、というのは当たり前で、そこで決めていくことに誰も責任を取らないというのもどうやらお決まりなんですね。人間、結局は知っている人を信頼して、協同していく、ということはもちろんあるし、私も、人を紹介するときは、当然、知っている人を紹介するし、自分が人を集めるときもそうするわけだけれど、なんていうか、難しいですね、社会的なことを決めるときの代表選出。まあ、誰が集めているのか、というところに真理があるということかな。誰だって、自分がくみしやすい、やりやすい人を集めるものだろう(異論を出してくれる人を喜べる態度がこのときにあるかどうかが実は重要)。そしてねえ。みなで決めた、というときの、責任の取り方も、日本では、すごく複雑に、巧みに、回避できるようになっている気がしますね。自分もこの文化で助かっているときがあるのかもしれませんが、ちょっと離れて見ているとつらすぎるときがあります。