『大学図書館専門職員の歴史:戦後日本で設置・教育を妨げた要因とは』

 標記のご本を、著者の利根川樹美子さんからお送りいただきまして、この戦後の図書館史研究がこうして1冊の本にまとまったのを見て、その"迫力"に、一言書こうと思いました。その時代を知る人もまだ多く生きている戦後史が、こうして詳細に、かつある意味で大胆に書かれるようになって、改めて、"歴史を生きる"自分についての自覚を新たにします。あるとき、先輩教員に、「中村さんは自分の決めたことを行動に移すとき、いずれ歴史が明らかにする、というような態度だけれど、それって反感を招くよ」と注意を受けました。それ以来、そう思われないように気をつけてはいますが、と言ってもここに書いちゃったら台無しな気がするが(笑)、やっぱり、歴史研究していると、そう思うよね。「天/神さまが見ている」という人もいるだろう(私のように宗教をもっている人はそういう考え方の方が身近なはずだけれど)。でも、私は、歴史が明らかにする、の方がしみついているみたいです。
 ところで、『大学図書館専門職員の歴史』ですが、初読の範囲で、第3章が私の目には力が入っているなあと思われました。1970年代から、日本図書館協会の資料提供と整理業務中心の方針をすべての館種の図書館を対象に示してきたことが、大学図書館改革ひいては大学図書館専門職員のあり方に影響を与えたことがここでは指摘されています。
 …これ、学校図書館も同じですよね。実はこのあたりのことは、一昨年に千葉県高等学校教育研究会学校図書館部会に呼んでいただいてお話したときに、話していたんです(記録は、『高校図書館』No.52, 2014収載。質疑応答の記録のp.55あたり)。図書館の自由の"偏"重、ということも学校図書館については指摘するべきでしょうね。
 戦後図書館史の更なる進展を祈ります(当面、この分野には元気のないわたくし)。

 まったく話変わって、しかも完全に蛇足ですが、先日、映画『オーケストラ!』を見ました。自分のチャイコフスキー好きを再確認。人生っていうのは、チャイコフスキーの音楽のようだと改めて。ロシア人はほんと、音楽と文学は天才だね!ちなみに、この邦題も、なんだかね、、という。現代はLe Concertです。この「協奏曲」という原題こそが、この映画を適切に表しているのではとほんと思う。

(2016.2.28追記)後から、歴史か神か、は、恥の文化か罪の文化か、ということなのではないかと気づいた。結局のところ、私も、日本文化を逃れ得ていないということか。
(2016.3.2追記)同じ筑波大学の博士論文が本になったもので、岩崎久美子さんの『フランスの図書館上級司書:選抜・養成における文化的再生産産メカニズム』(明石書店, 2014)も力作でございます。フランスの司書職制度を概観できるということと、文化的再生産の部分では、教師を辞めて司書職に移ってくる人の例が出てきて、以前書いた、フランスの映画に描かれているような学校状況が透けて見える。