ひーーここまでだったか、学校司書の雇用実態(都立高校)

 「東京都立高校・学校図書館(室)管理業務委託のおぞましい実態」なるブログ記事を読んで(著者に了解を得ていないのでリンクは貼りませんが、検索すればすぐ出てきます)はてなブックマークの同ブログ記事に対するコメント欄を読んだ。いやあ、驚きです。このブログの内容は衝撃的だし、不勉強でこの実態を知らなかった私は驚愕しました。と同時に、はてなブックマークについているコメントもなかなかシビアで、考えさせられます。先日、「#図書館やめたの私だ」の投稿がツイッターに続々出た際も、匿名の掲示板でのコメントを見ると、図書館の仕事が薄給なのは当たり前という主旨の発言が山ほどあった。今の日本の労働環境の厳しさがそのまま反映されていて、図書館の仕事はコンビニの仕事と同等かのような語られ方も見かけた。
 つくづく、専門職とは何か、ということを考えさせられます。安易に「専門職」と叫ぶことが、図書館の仕事を貶めていることに気づかない人がどうしてこんなにたくさんいるのだろう。専門職とは何か、を構造的に、きちんと勉強して、考えてから、発言した方がよいと思う。ただやみくもに叫んでもだめで、どのような条件を揃えたら社会がそう認めてくれるのか、研究だってあるのだから、戦略的に取り組むべきだったよ。ただ実践を積み重ねてそれを見てもらえば、というのが戦後の作戦だったのだろうが、その結果が今、じゃないの??(法律に名前が刻まれたということを達成と思っている方もいるのでしょうが、私は異なる見方をします。)
 先日も書いた、24(twenty four)でも、もし今さらご覧になる方がいらしたら、観ながらついでに「professional」とは何ぞやをぜひ考えていただきたい。シーズン4の後半で、ジャックが、たしか「you are professional」と捕まえた女性に言うシーンがあった。professionalのお前は簡単には秘密(作戦等)を吐かないだろう、だからもう時間も無いし、取引をしよう、と持ちかけるという流れの中で出てきた言葉。同じprofessionalとして、相手を尊敬している一面もある。この24というドラマは、概して、professional礼讚のきらいがある。アメリカ人のひとつの見方として、正義(そのようなものがあるかという議論はここでは棚にあげよう)を実現しようとして自らを捨てる尊い人が、professionalとして働く人にしばしばいる、というものがあることがわかる。みな、自らのprofessionを正義のために使うという視点で判断をして、働いている。そして、そういう人たちは賞賛され、適切な報酬を受ける。でも、その、働いているときの"覚悟"は半端なものじゃないよ。
 ちなみに。。。この都立高校の業務を受託している会社としてあがっているところの中には私の教えた学生が複数名、働いている会社もある。正規職員として、就職していった。ちゃんと勉強した学生ではあるので、いい仕事をしてくれている可能性はあるが、どんな待遇を受けているのだろう、何を感じて、考えているのだろうと改めて思う。