専門家と政治家

 過去1ヶ月強,英語と日本語で新型コロナウィルスの情報を見てきたのだが,この問題の英語のメディアでの取り扱いがじょじょに大きくなってきて,情報量が増え,やっと私も少し落ち着いた気がしてきた。英語のコミュニケーションというのは,マスコミでも研究者の間でも,私の経験では,できるだけ短く伝えるべきを伝えるほど評価される,という文化が広まっているので,またロジカルであること,サイエンティフィックであることは不可欠となっているので,社会問題は英語で読んだ方がずっとわかりやすい。また,少なくとも私は,英語で読んだ方が冷静になり,腑に落ちることができる。

 近代の公衆衛生はイギリスで実践・研究されるようになったわけなので,と考えて,BBCの記事も観たり読んだりしてきたが,例えばこのビデオはとても勉強になった。感染症の場合,くしゃみをするのに,ハンカチよりすぐに捨てられる紙で抑える方がいいんだなとか。ハンカチで抑えて,そのハンカチでお手洗いに行って手を洗ってふいたら...ですものね。

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 そして今朝,ワシントン・ポスト誌のこの記事を読み,やはりこの問題をどう扱うかの鍵は,専門家と政治家の関係性にあるのだなと思った。と同時に,”新型”のウィルスの流行とはいえ,私たちは歴史から学ぶことができるはずだということ。この二つの視点からこの問題を見ると,疫学や公衆衛生学,感染症などの専門家ではなくても,少し落ち着いて,大局的に見ることができるのではないか。

 この記事では,The Great Influenza: The Epic Story of the Deadliest Plague in HistoryViking Press, 2004)(翻訳は平沢正夫『グレート・インフルエンザ』共同通信社,2005)という本の著者であるバリー(John M. Barry)という歴史家の電話インタビューが紹介されている。彼は,トランプ大統領は歴史から学んでいないのではないかと言う。政府が情報をコントロールしようとし,多くのメディアがそれに続き,自己検閲のうえで恐ろしいニュースにする。一例として,スペイン風邪(1918 flu pandemic)のときのことがあげられる。第一次世界大戦中にあって,(スペインは中立国だったのだが)参戦国であった国々は自分たちが弱いと思われたくなくて,人びとはスペイン風邪はepidemicつまり特定地域(スペイン)の流行病とみなすようになった。アメリカ軍部隊がヨーロッパに派遣されて重要な戦いのさ中にあったことから,政府は情報を統制した。1918年9月7日にボストンから来た船から300人の水平たちがフィラデルフィアの軍港に降りた。そして,戦意高揚のため,1918年9月28日にパレードが強硬され20万人ほどが集まった。実はこのパレードについてほとんどすべての医師たちは実施を反対して,記者たちにそれを伝えていたのだが,編集者たちがそれを潰し,フィラデルフィアの新聞は一切そのことを記事にしていなかった。結果,48時間後にはスペイン風邪が町を襲い,3日以内に117人の一般人が風邪で死亡。バリーはこのできごとから,真実を語ることの重要性を学ぶべきだと言う。トランプ政権は,あからさまな嘘をついてはいないが,最もうまくいった場合のシナリオと思われる解釈を提示していることが,心配だと。また,アメリカ国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)の所長であるファウチ(Anthony S. Fauci)氏のような専門家ではなく,ペンス副大統領を対策の責任者に据えたことが特に懸念されると。…とにかく,大統領選の最中ですからな。

 歴史から学ぶという点から言うと,スペイン風邪については,日本の国立感染症研究所感染症情報センターのこの記事にコンパクトにまとまっていて,わかりやすかった。以下の部分が私には特に興味深かったです。「感染伝播をある程度遅らせることはできましたが、患者数を減らすことはできませんでした。」ー今回もこのような可能性がある(低くない)ことは,日本のマスコミでも専門家が言ってきたと思うが,それでも「遅らせること」には意味があり,一方で遅らせて感染のピークを低めて拡げられずに,一気にピークがきて医療が崩壊することの恐ろしさや,また遅らせることができれば特効薬が開発されるかもしれず助かる人が増えるかもしれないというその可能性が整理されて伝えられていたかどうか...私の場合は少なくともこの程度でも腑に落ちるのに時間がかかった。直接的な説明が避けられているような気もする。

もちろん当時は抗生物質は発見されていなかったし、有効なワクチンなどは論外であり、インフルエンザウイルスが始めて分離されるのは、1933年まで待たねばならなかったわけです。このような医学的な手段がなかったため、対策は、患者の隔離、接触者の行動制限、個人衛生、消毒と集会の延期といったありきたりの方法に頼るしかありませんでした。多くの人は人が集まる場所では、自発的にあるいは法律によりマスクを着用し、一部の国では、公共の場所で咳やくしゃみをした人は罰金刑になったり投獄されたりしましたし、学校を含む公共施設はしばしば閉鎖され、集会は禁止されました。患者隔離と接触者の行動制限は広く適用されました。感染伝播をある程度遅らせることはできましたが、患者数を減らすことはできませんでした。

 歴史から学ぶという話では,今日になって,ミラノの校長先生がペスト流行のシーンにはじまる『婚約者(いいなづけ)』31章を引用して語りかけた手紙が話題という以下のニュースも流れてきた。伝染病の経験は,過去に人類は何度もしてきたのですから,そこから学ばなければ。(この翻訳の原文はアレッサンドロ・ヴォルタ高校のHPに見つかった。

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 そしてもうひとつの,専門家と政治家という点。前述のバリー氏が言及している専門家のファウチ氏というのは,1984年以来,NIAIDを率いてきて,なんと,レーガン・パパブッシュ・クリントンブッシュジュニアオバマ,そしてトランプと6人の大統領にアドバイスをして感染症の対策において重要な役割を果たしてきた人物だそう。2008年にはブッシュジュニアから大統領自由勲章(Presidential Medal of Freedom)を授けられている。その彼が,どうやら,公的な場で,許可なく話すことを禁じられたとBusiness Insider誌は2月29日に報じています(この記事)が,どうなのだろう。日本の場合も,新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーがもっと前に出て,話してもいいのではという気がするが...。2人くらいは見たことがある気がするが...テレビ番組の作りが,こういう専門家を呼んでも,きちんと話を聞けていない,整理できていない気がする(ジュディ(Judy Woodruff )みたいなホンモノのアンカーがいないのだと思う)。そして,ご本人たちも,マスコミに出ることや,素人向けに語ることに慣れていないのではないかと思う。

 専門家と政治家の関係というのは,実は日本の図書館関係者にとっても日常的に考えさせられてきた問題です。加えて日本の場合は官僚がいる。専門家の中にも,政治家・官僚と上手に付き合ってもう半ば脳内は政治家か官僚ではという人もいれば,そんなことは絶対にできないというある種妥協なしの研究者まで,多様。政治家や官僚の側が,専門家とある意味で同じように,ロジカルに,エビデンスに基づいて考えられて,そのうえで社会的な総合的な判断をでき,責任を取る用意があるというのが理想なのだが,これは専門家の側にいる私の甘えた見方だろうか。

 ちなみに,トランプ政権が仮に反知性主義でも,私はやはり,ある一点において,アメリカという国を(日本よりも)信じている。それは,今回のすべてが,人類が絶滅しない限り,アメリカでは記録が残り,日本では残らない(だろう)という点において,圧倒的に前者の方が成熟した民主政治の国であるということ。専門家と政治家の攻防もジャーナリズムがカレントな情報として伝えようとするというだけでなく,検証できるだけの記録を残そうとする人びと(情報管理の専門家=アーキビストやライブラリアン)がアメリカにはいる。日本にもいるかもしれない,でも専門職としてのまとまり方,そして積みあげられてきた信頼が違う。そして,官僚機構が,記録を残す義務を認識しているかどうか,この点もまったく両国で違うと思う。

 最後に,どうでもいいことかもしれんが,ファウチ氏は79歳。トランプ氏は73歳。民主党の候補者争いの中心のサンダース氏は78歳,バイデン氏は77歳。ワシントンポスト誌のこの記事によると,トランプはインドから帰路からアメリカで新型コロナのスピーチをするまで1日半か2日半か,まったく寝ないで仕事していたらしいヨ...まったくもって体力が違うよ。私は50歳を前に体力の衰えとともに老害化しつつあるっていうのに。