移行期の教育

 つい最近のはなし。

 ホンダの,私が尊敬・敬愛するやり手営業マンに,Honda eについて聞きました。彼が,「これから10年で車は大きく変わりますよ。若い営業はホント,新しい勉強をしてる。」と言うので,「じゃあ,◎◎さんも頻繁に研修に行ってるの?」と聞いたら,「いやあ私はもう50代なので。でも,若手は電気[自動車]のことをすごく勉強しています。(よかったら紹介します。)」と。

 あらゆる分野が,これから10年に大きく変化する前提で,40~50代と20~30代くらい間でどのように分担して,総合的な専門知をお客(利用者)に対して担保して,移行期を乗り越えていくかを考えているのだなと実感したできごとでした。

 「もう50代なので」の側の私は,若い人たちに何を教えていくか,日々,考えています。

 図書館情報学という,図書館プロフェッションを育成する分野においては,「△△の思想」が,私は一つはとても重要なこと,2,3割を占めてよいかなと思っています。と同時に,その思想のもとに,次の時代の△△実践とは何か,を現代までの△△実践の修得と,△△実践のこれからを考えるというところが残りの7割8割といったところかなと。あ,これは概論的な話で,演習は少し違う考え方になるかと思います。私は概論的な科目ばかり持ってきたため,そちらの方は考えを今,すぐに書けただけで。

 

 「もう50代なので」側が,移行期の教育に携わっていると自覚し,若い人たちこそがこれからの時代の主体であることを前提に語り動かないと,大学はどんどん,一般社会から見放されていくなと。

 

(上記を書いた翌日,2021.01.27に以下を追記)

 上記の関連で最近の組織のあり方について,思い出したことがあるのでもう少しだけ。

 最近,経営がうまくいってそうだなと思う会社・お店で見るのは,"若い人だけで"(笑),会議している様子。お客さんや利用者から見えるオープンスペースでやっている。で,20代~30代の若い人同士で,上下関係なく,意見交換をしている。そして,「楽しい」が条件になっている。楽しくなりそうにないなら集まらない,そもそもそこで働かないのだろうなあと思う。

 若い人たちにとっての"労働"というものが,40代,50代の多くの人たちにとっての労働の意味とまったく違っていると,そうした会議の様子を見ていて思う。反対に言うと,自分の好きなことがわからない,楽しいという感情がわからないというような育ち方をしてしまっている若者には,辛い時代なんじゃないかなとも思う。抑圧されて,自分がわからなくなってしまっていると,これから,新しい時代を切り拓いていくというとき,身の置どころがわからなくて,いたたまれないかもなあと。まあ,20代はまだ,自分を知るための時間でもあると思うけれどね。

 自分を知るように,そして自分に自信をもつように,教育にあたるっていうことが,40,50をオーバーした世代が唯一できることかもね。ただただ褒めるということではなく,自分の中に軸をもって判断できるようになるように,そのための軸を作るというか,基礎力を身につけさせるっていうことかなあ。その基礎力が何かということが,議論しないといけないことだろうね...

 

(ここまで書いたら,2021.01.27夜,以下の記事を見かけた。ギリギリ40代のワタクシをクリックさせる力のあったタイトル(笑)。要するに,ジョブ型雇用に移行すると,「楽しい」が担保されるんじゃない?ってことなのかな。)

 

(翌日,2021.01.28,以下を追記)

 ちなみに,若者の労働観についての調査・研究はあるから,少しは見た。けれど,最近,私が昨日書いたようなことを思いながら読んで,まあこういうことなんだろうなと思えたのはこちらでした。