COVID-19パンデミックが私たちに問いかけるもの

 じょじょに緊急事態宣言が解除されてゆき,この春のCOVID-19パンデミックから日本社会も復旧してゆくでしょうか❔ この,まだまだパンデミックの非常時の記憶が生々しい段階で,みなさんと一度,今回の経験についての思いを互いに伝えあう機会をもちたいと思い,足立正治先生とこのような企画をいたしました。タイトルはとりあえず「COVID-19パンデミックが私たちに問いかけるもの」としましたが,実際のところ,かなり自由に話題提供をしていただくことになりそうです。

 Zoomはいわゆる荒らしが出現するようなので,事前登録制といたします。こちらより,各実施日の13時までにお申し込みください。一度申し込んでいただければ,当日,出入りは自由にしていただいて構いません。

 

<<前編>>
2020年5月23日(土) 13:30-15:30
話題提供者は...
瀧上幸子さん(立教大学大学院生)
 "休校中の居場所カタリバオンラインの軌跡"
東山由依さん(昭和女子大学助手)
 (タイトルはもう少し待ってください)
青栁啓子さん(勝沼図書館司書)
 (タイトルはもう少し待ってください)
山本敬子さん(小林聖心女子学院司書教諭)
 "本を「手渡す」-そのときの、こころとからだ"
足立正治さん(元・甲南高等学校教諭)
 "Negative Capability(負の力)ってなんだ?"

 

<<後編>>
2020年5月30日(土) 13:30-15:30
話題提供者は...
佐藤摩依さん(立教大学学部生)
 "人との関わりの大切さ"
手島喜人さん(立教大学学部生)
 "オンライン授業と大学図書館閉鎖の影響:現役大学生の視点から"
Katy Vance(横浜インターナショナルスクールライブラリーライブラリアン) *簡単な通訳を中村がいたします。
 (タイトルはもう少しお待ちください。)
庭井史絵さん(青山学院大学准教授)
 "休校・閉館時に私たちは何ができたのか:まとめサイトを立ち上げて非常事態下の学校図書館を「見せる」"
永田治樹さん(未来の図書館研究所所長)
 "ポスト真実の名残のなかのインフォデミック:Covid-19下の公共図書館の対応"

国際比較の難しさ

 新型コロナウイルスについての英語での情報が爆発的に増えている状況にあって,日米英の政府の首脳と政府が指名している専門家の責任者の会見を見てきた。トランプ大統領ホワイトハウスの大統領執務室から一人で行ったスピーチ(3/11)は,ヨーロッパ(英国を除く)から米国への渡航を30日間禁止するということと,給与税の減税措置を述べるなどしたものだったが,全体として国民を科学的な根拠を示さずに安心させようと米国の偉大さを連呼したものに私には聞こえ,とても残念な印象をもった。

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 その後,ローズガーデン(3/13)や記者会見室(3/14)でも次々と,トランプ大統領は重大な判断を提示するスピーチをしていったが(スピーチや質疑応答の筆記録はすべてホワイトハウスこのページにあるので,日付からすぐに見つけられる),どれも,彼の率直というか大衆的というかなキャラクターから,政府の動きが系統だっていない,サイエンスに基づいていないという印象になってしまったように私には見え(事実かどうかは私にはわかりきれていない),残念な気もちが重なっていった。先日も触れた,本件で専門家の代表ということになっているファウチ氏は説明に追われるようになり,政府もしくは大統領と専門家の関係が複雑でわかりづらくなっていると私は思っている。インターネット上には大統領選の思惑も絡んで,あらゆる不満,不確かな情報に基づく批判があふれ出はじめている。

 英国のボリス・ジョンソン首相は,左右に専門家にいっしょに来てもらって,スピーチをした(3/12)(筆記録はこちら)映像で右側にいるのが英国政府主席科学顧問で科学庁トップのヴァランス(Sir Patrick Vallance)氏,左側が英国政府主席医務官,英国健康省トップを務めるウィッティ(Chris Whitty)教授である。首相のスピーチにはscience;scientificという言葉が繰り返し出てきて,質疑応答では二人の専門家にも発言をしてもらいながら,私には十分と思われるだけのジャーナリストたちとのやりとりがあった。首相のスピーチは3分半程度で,質疑応答が36半程度続き,首相の口からは,対応はサイエンスに導かれているもので,適切なことを適切な時期に行うとの宣言がされて,私はしびれてしまった。

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 ところが,結局,そうしたサイエンティフィックと言って提案されたものが,未知のウイルスに対して有効なのか?という批判が各方面から出てきた。英国内の科学者たちは英国政府が現時点では社会的距離戦略を取らないことで急激な感染拡大が起き,医療崩壊が引き起こされることを恐れ,その戦略をとるべきだとする要求状を公にした(3/14)。サイエンスやエビデンスをいかに解釈し,行動につなげるかというところで,大いに疑問が投げかけられてしまったように見える。

 そんなところで安倍首相の会見であった(3/14)。

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トランプ大統領のスピーチを見て,閾値が下がっていたらしく,今回は私は,安倍首相はどんなにいいスピーチライターを雇ったんだろうと思ってしまった。かつ,彼自身が,日本語のスピーチとしては最大限と私には思われるほど,伝わる語り方をできていたのではないかと思った。

 

 英語でも日本語でも,今,見かける政策批判で,私が学校図書館の国際比較研究を少しずつしてきた経験から自戒も込めて思うのは,他国の政策(対応)と自国のそれとを安直に比較するべきではなく,特に,一方を批判するべきではないということである(研究者でも大手マスコミでもそれをしているのを今は見かける)。いくらサイエンスには普遍性があるとは言っても,また現代の政策決定がエビデンスやサイエンスに基づくものであるべきだという認識は広まってきている(広まるべきだと私は思っている)とは言っても,英国の例を見てもわかるように,その解釈から実際の政策立案への応用は,簡単なことではない。

 一つには,サイエンスと言っても,分野が細分化しており,各分野の研究を総合して政策に活かすというのは,ものすごい手間がかかることだと思う。例えば,今回の件では,感染症の現場(臨床)経験のある医師(や研究者)と,現場経験が少ない疫学の研究者の間では,かなりの見解の相違があるだろう。新型コロナの検査について,疫学者の中にできる限りの検査をするべきという考えの人がいるのは当然だ。データはいくらあってもありすぎということは無いだろうし,それに基づく政策立案を提案するのが疫学者であろう。しかし,今,厚生労働省がもっているデータも,疫学において無用かというとそんなはずはない。すべてのデータは,ある条件のもとで集められるのだから,その条件を勘案して分析することで何かは見えてくる。その際,誤差の検証がほんとうに重要だろうし,その手法はサイエンスにおいては常に改良が進められてきているはずだ。そういう意味では,検査に関わる条件があまりにも異なり,またその条件が十分に発表・吟味されていない現状で,各国から発表されるデータを安直に比較して,よく考えずに反応するべきではない。

 政策の国際比較となれば,各国にはそれぞれの国民性や歴史・文化があることを十分にふまえる必要がある。新型コロナの検査をどのようにどのタイミングでどこまで広げるかについて比較してよりよい政策決定をしたいなら,保険制度,医療の現状(ベッド数や医師数のほか,今回については指定感染症制度(日本では二類感染症相当としたこと)),国民性(例えば一年あたりの外来受診回数に表れるような国民の病院に頼る心理や行動)などの,成果に影響を与えうるあらゆる要素を考慮しなければどれが正しいなどと自信をもって言えるものではないと思う。もし考慮したのかと問いたい点があるのなら,批判の前にそれを指摘するべきではないか?

 政策決定がこのように複雑なことである(またそうでしかありえない)からこそ,反対に,政策決定の根拠(エビデンス)はできる限り,なるべく国民に分かりやすい形で公開,説明すべきなのだと思う。また,国民の側も,政府が情報発信しているものに対して,部分的に切り取るメディアを警戒し,自分で,大事だと思う政策に対しては時間をとってオリジナルに目を通したうえで,クリティカルに分析しかつ建設的に発言していくという態度が求められている。自戒を込めて繰り返すが,相手の話をよく聞かないでかぶせるように自分の意見を言うことが不適切なのと同じことだ。もっとも,日本の場合は,その政策に至ったエビデンスがほぼ示されないことが多い...

 政府には,"隠蔽している!"というような見方をする人がいつでもいる。そのような性向が政府や権力者というものの側にはいつでもあることは私も否定しない。でもだからこそ,政府がエビデンスに基づき,透明性ある政策決定をし,記録を残し,のちの検証に耐えうる状態にする,そのような制度を作ることがまず大事なのではないかと私は言いたい。要するに,文書館や図書館の制度の確立,情報リテラシー教育の研究の進歩と教育実践の充実,そうしたことを司る高度専門職の養成といったことは,日本社会において非常に優先度の高い課題であるはずだということです。

 

(2020.03.17朝追記)最後のパラグラフがあまりよくない気がしてきた。隠蔽しているということで部分的に批判して追及するより,制度をきちんとしていく議論をしたいということが言いたかったのだが。

 ところで,英国の運輸省のシャップス(Grant Shapps)大臣が,政府のコロナウイルスのアクションプランはすべてが科学に導かれたもの,エビデンスに基づくものだと言って,他国はポピュラリストのアプローチかもしれないとか,knee-jerkつまり,考え無しに動くというようなことじゃないとディフェンスをしたというニュース番組へのインタビューラジオインタビューを見かけた。かなり率直なものいいで興味深い。イギリス人のことだから,国民からいろんな反応が出てくることも織り込み済で,今のアクションプランを動かしている気がする。今回は,英米で,現在のリーダーの知性の差が大きく事態(特に社会の混乱度)に影響したように現時点では見える。

(2020.03.17夕刻追記)英国の前回とおなじ3人の新しい記者会見をやっと見ました。新しい対策が示されたわけだが,首相のスピーチがあって…両方の二人からもスピーチがあった。サイエンティフィックなエビデンスというものがすべてここで示されるわけもないのだが,英国民の命を預かっているトップのサイエンティスト二人が,直接,首相と共に,話すということに説得力を感じてしまうわけです。

 ヴァランス氏が,それ以上の対策(その中に学校の閉鎖も含まれる)は,適切な時,適切な方法,アウトブレイクの適切な段階で(at the right time in the right way at the right stage of the outbreak)と述べていたところで,そうだよなあと(まあ当たり前なのですが)。ウィッティ教授からは,数週間やって十分というイリュージョンを見ないようにしてくれと,サステイナブルじゃないといけないという話があった。で,質疑応答の中で新しく知ったこと,これもウィッティ教授の発言ですが,WHOがテストテストテストと言っていますが,という問いに,今も英国のテスト数は多いし,これからも増やしていく。ただ,どこで(geography)ということは今は重要ではなくなっていると。また,今はまだ信頼度が低いが,その人が過去にコロナウイルスに感染したかどうかがわかるテストが出てくると。まあそうかあ~と思いつつ,こういう充実した質疑応答ができ,命がけでこの問題に取り組んでいる科学者のアドバイザーたちと直接やりとりできる英国のジャーナリストや,それを見ることのできる英国の一般の人たちがほんとうに羨ましく思った。

www.youtube.com

 

情報を整理して提示するということ

 情報をいかに発信するかの文化の差を語るとてもいい機会だと感じるので,今度は,日英米の新型コロナウィルスについての特集ページを並べてみよう。

www.mhlw.go.jp

 私が英国の二つの機関のものがシンプルで好きです。アメリカのCDCの1ページに情報がまとまっているのが好きな人もいるだろうと思います。日本のページが好きだという方はとっても日本人の方なのでしょう(日本人度テストみたいなものかもしれん)。英国の政府の対応のページの冒頭は,文字ばかりなのですが,ここに必要な政府発信の情報へのリンクはまとまっています。まあ,日本の厚生労働省のこのページもまとめようとはしているんだけど,どこを見たら何がありそうかがほんとわかりづらいと私は思う。

 で,私の目から見て絶望的な差は,この厚生労働省のページの「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」のところと,英国の政府対応のページでリンクが示されている「コロナウイルス・アクションプラン」のページの構造と内容,文章の違い。厚生労働省のページでは,「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」とくくった下にもう一度,「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」がある。そしてそのリンクを開けた先の報告書の,(私には)わかりづらいことと言ったら!

 ■新型コロナウイルス感染症対策の基本方針
 2月25日に政府の「新型コロナウイルス感染症対策本部」が開催され、新型コロナウイルス感染症対策の基本方針が決定されました。この基本方針では、現在講じている対策と、今後の状況の進展を見据えて講じていくべき対策を整理しています。
新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」(2月25日)
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 脇田座長のご説明(第13回新型コロナウイルス感染症対策本部)(2月25日)
新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた専門家の見解(2月24日)

で,英国のさっきのページから,「政府のコロナウイルス・アクションプラン:英国全土で何を期待できるかへのガイド(Coronavirus action plan: a guide to what you can expect across the UK)」のHTMLヴァージョンに飛んでみる。文・文章そのものの明瞭さの違いが実は一番大きい気がするのだが,そこまでは今日は突っ込みません。ぜひ原文をご覧ください。

 日本の「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」の構造を見てみよう。この他に①…だの(ア)…だのが構造がわかりづらい形で使われているがもうここでは意味わからんと思って削除しました。どうぞ原文をご覧ください。もちろん,一般的な日本人が書く文章よりはずっとずっと構造化されていると感じます。

1.現在の状況と基本方針の趣旨 

2.新型コロナウイルス感染症について現時点で把握して
いる事実

3.現時点での対策の目的

4.新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の重要事項
(1)国民・企業・地域等に対する情報提供

(2)国内での感染状況の把握(サーベイランス(発生動向調査))

(3)感染拡大防止策

(4)医療提供体制(相談センター/外来/入院)

(5)水際対策

(6)その他

5.今後の進め方について

 英国の「政府のコロナウイルス・アクションプラン」の構造を見てみよう。私の急いでしている翻訳がわかりづらいという方は英語本文をご覧ください。

1. 導入

2. このウイルスとそれが引き起こす病気についてわかっていること

3. 英国は感染症の発生(outbreaks)にいかに備えているか

 主な呼吸器ウイルスの発生[歴史]

 計画策定の原則

4. 現在のコロナウイルスの発生に対する我々の対応

 現在の計画策定状況

 各フェーズの対応 – これまでに何をしたか  

  封じ込めるフェーズ – 現在までの対応

  遅らせるフェーズ – 現在までの対応

  研究のフェーズ – 現在までの対応

  本対応を支えるのに一般人(the public)が果たすことのできる役割

 各フェーズの対応 – これから何をするか

  遅らせるフェーズ – 次のステップ

  研究のフェーズ  – 次のステップ

  苛酷さをやわらげるフェーズ – 次のステップ

添付A:パンデミックへの準備と対応の責任

 国家の責任

 地方・地域の責任

 複数機関の協働

 その他の公共サービス

添付B:専門家のアドバイスと指導

(最後に15の引用文献のリスト)

 日本の「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」は2月25日(火)付,英国の「政府のコロナウイルス・アクションプラン」は3月3日(火)付に発表。ちょうど一週間違うので,もっと時間があったらこの英国くらいのものは出せました!と日本政府が言うのなら,そうなのかもしれんね...

 ちなみにアメリカのCDCのページはほんとうに情報量が多いし,それはもちろん組織化して提示されていて,必要に応じてさまざまな情報を取り出せるようにはなっている。ただ,各州政府との関係が難しいのか,トランプ政権の姿勢か,今回の情報発信については,英国が優れていると私には見える。

 最後になるが,日本のメディアやSNSでは批判をよく見かけるが,私は日本の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議にそこまで批判的ではない。今回,英国政府の方針文と比較した「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」だって,そのへんにある(私も日常的に書いているような)日本語の文書に比べればずっとよく整理されている。たぶん,やっていることも間違えていない。だけれども,専門家会議の情報発信,リーダーシップには問題がある。これはしかし,専門家会議だけの問題ではなかろう。

アンカー

 昨日はJudy Woodruffを例に出したが, CNNで先ほど「新型コロナウィルスについてのあなたの質問に答えます(Your questions on the novel coronavirus answered)」というコーナーを見て,Anderson Cooperと専門家のやりとりにしびれてしまった。  

 司会者のせいなのか,番組のつくりのせいなのか,日本のテレビ番組で専門家がきちんと話をさせてもらえないと感じる。お笑い芸人(のような人たち)がつっこみみたいな感じでがなりたててしきるので,専門家が落ち着いて話せない。専門家が伝えることが上手じゃないということもあるかもしれないが,司会者が専門家の話をじっくり長く聞けない。何か聞くとすぐに解釈して反応し,自分の言葉に置き換えてしまう。これは私自身への戒めでもあるが,自分が腑に落ちるために他者の言葉を自分の言葉にすぐに,安易に置き換えるのって,暴力ではないか。

 今いる司会者はそれはそれで求める人がいるならそれでいいから,ほんとに,JudyやAndersonみたいな,自分の言葉でしっかり問いかけ人の話を聞けるアンカーを日本でも社会で育てたいものだ。番組に,何人もの素人を呼んでいるばかりでは,だめなんだと思う。

専門家と政治家

 過去1ヶ月強,英語と日本語で新型コロナウィルスの情報を見てきたのだが,この問題の英語のメディアでの取り扱いがじょじょに大きくなってきて,情報量が増え,やっと私も少し落ち着いた気がしてきた。英語のコミュニケーションというのは,マスコミでも研究者の間でも,私の経験では,できるだけ短く伝えるべきを伝えるほど評価される,という文化が広まっているので,またロジカルであること,サイエンティフィックであることは不可欠となっているので,社会問題は英語で読んだ方がずっとわかりやすい。また,少なくとも私は,英語で読んだ方が冷静になり,腑に落ちることができる。

 近代の公衆衛生はイギリスで実践・研究されるようになったわけなので,と考えて,BBCの記事も観たり読んだりしてきたが,例えばこのビデオはとても勉強になった。感染症の場合,くしゃみをするのに,ハンカチよりすぐに捨てられる紙で抑える方がいいんだなとか。ハンカチで抑えて,そのハンカチでお手洗いに行って手を洗ってふいたら...ですものね。

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 そして今朝,ワシントン・ポスト誌のこの記事を読み,やはりこの問題をどう扱うかの鍵は,専門家と政治家の関係性にあるのだなと思った。と同時に,”新型”のウィルスの流行とはいえ,私たちは歴史から学ぶことができるはずだということ。この二つの視点からこの問題を見ると,疫学や公衆衛生学,感染症などの専門家ではなくても,少し落ち着いて,大局的に見ることができるのではないか。

 この記事では,The Great Influenza: The Epic Story of the Deadliest Plague in HistoryViking Press, 2004)(翻訳は平沢正夫『グレート・インフルエンザ』共同通信社,2005)という本の著者であるバリー(John M. Barry)という歴史家の電話インタビューが紹介されている。彼は,トランプ大統領は歴史から学んでいないのではないかと言う。政府が情報をコントロールしようとし,多くのメディアがそれに続き,自己検閲のうえで恐ろしいニュースにする。一例として,スペイン風邪(1918 flu pandemic)のときのことがあげられる。第一次世界大戦中にあって,(スペインは中立国だったのだが)参戦国であった国々は自分たちが弱いと思われたくなくて,人びとはスペイン風邪はepidemicつまり特定地域(スペイン)の流行病とみなすようになった。アメリカ軍部隊がヨーロッパに派遣されて重要な戦いのさ中にあったことから,政府は情報を統制した。1918年9月7日にボストンから来た船から300人の水平たちがフィラデルフィアの軍港に降りた。そして,戦意高揚のため,1918年9月28日にパレードが強硬され20万人ほどが集まった。実はこのパレードについてほとんどすべての医師たちは実施を反対して,記者たちにそれを伝えていたのだが,編集者たちがそれを潰し,フィラデルフィアの新聞は一切そのことを記事にしていなかった。結果,48時間後にはスペイン風邪が町を襲い,3日以内に117人の一般人が風邪で死亡。バリーはこのできごとから,真実を語ることの重要性を学ぶべきだと言う。トランプ政権は,あからさまな嘘をついてはいないが,最もうまくいった場合のシナリオと思われる解釈を提示していることが,心配だと。また,アメリカ国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)の所長であるファウチ(Anthony S. Fauci)氏のような専門家ではなく,ペンス副大統領を対策の責任者に据えたことが特に懸念されると。…とにかく,大統領選の最中ですからな。

 歴史から学ぶという点から言うと,スペイン風邪については,日本の国立感染症研究所感染症情報センターのこの記事にコンパクトにまとまっていて,わかりやすかった。以下の部分が私には特に興味深かったです。「感染伝播をある程度遅らせることはできましたが、患者数を減らすことはできませんでした。」ー今回もこのような可能性がある(低くない)ことは,日本のマスコミでも専門家が言ってきたと思うが,それでも「遅らせること」には意味があり,一方で遅らせて感染のピークを低めて拡げられずに,一気にピークがきて医療が崩壊することの恐ろしさや,また遅らせることができれば特効薬が開発されるかもしれず助かる人が増えるかもしれないというその可能性が整理されて伝えられていたかどうか...私の場合は少なくともこの程度でも腑に落ちるのに時間がかかった。直接的な説明が避けられているような気もする。

もちろん当時は抗生物質は発見されていなかったし、有効なワクチンなどは論外であり、インフルエンザウイルスが始めて分離されるのは、1933年まで待たねばならなかったわけです。このような医学的な手段がなかったため、対策は、患者の隔離、接触者の行動制限、個人衛生、消毒と集会の延期といったありきたりの方法に頼るしかありませんでした。多くの人は人が集まる場所では、自発的にあるいは法律によりマスクを着用し、一部の国では、公共の場所で咳やくしゃみをした人は罰金刑になったり投獄されたりしましたし、学校を含む公共施設はしばしば閉鎖され、集会は禁止されました。患者隔離と接触者の行動制限は広く適用されました。感染伝播をある程度遅らせることはできましたが、患者数を減らすことはできませんでした。

 歴史から学ぶという話では,今日になって,ミラノの校長先生がペスト流行のシーンにはじまる『婚約者(いいなづけ)』31章を引用して語りかけた手紙が話題という以下のニュースも流れてきた。伝染病の経験は,過去に人類は何度もしてきたのですから,そこから学ばなければ。(この翻訳の原文はアレッサンドロ・ヴォルタ高校のHPに見つかった。

ovo.kyodo.co.jp

 そしてもうひとつの,専門家と政治家という点。前述のバリー氏が言及している専門家のファウチ氏というのは,1984年以来,NIAIDを率いてきて,なんと,レーガン・パパブッシュ・クリントンブッシュジュニアオバマ,そしてトランプと6人の大統領にアドバイスをして感染症の対策において重要な役割を果たしてきた人物だそう。2008年にはブッシュジュニアから大統領自由勲章(Presidential Medal of Freedom)を授けられている。その彼が,どうやら,公的な場で,許可なく話すことを禁じられたとBusiness Insider誌は2月29日に報じています(この記事)が,どうなのだろう。日本の場合も,新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーがもっと前に出て,話してもいいのではという気がするが...。2人くらいは見たことがある気がするが...テレビ番組の作りが,こういう専門家を呼んでも,きちんと話を聞けていない,整理できていない気がする(ジュディ(Judy Woodruff )みたいなホンモノのアンカーがいないのだと思う)。そして,ご本人たちも,マスコミに出ることや,素人向けに語ることに慣れていないのではないかと思う。

 専門家と政治家の関係というのは,実は日本の図書館関係者にとっても日常的に考えさせられてきた問題です。加えて日本の場合は官僚がいる。専門家の中にも,政治家・官僚と上手に付き合ってもう半ば脳内は政治家か官僚ではという人もいれば,そんなことは絶対にできないというある種妥協なしの研究者まで,多様。政治家や官僚の側が,専門家とある意味で同じように,ロジカルに,エビデンスに基づいて考えられて,そのうえで社会的な総合的な判断をでき,責任を取る用意があるというのが理想なのだが,これは専門家の側にいる私の甘えた見方だろうか。

 ちなみに,トランプ政権が仮に反知性主義でも,私はやはり,ある一点において,アメリカという国を(日本よりも)信じている。それは,今回のすべてが,人類が絶滅しない限り,アメリカでは記録が残り,日本では残らない(だろう)という点において,圧倒的に前者の方が成熟した民主政治の国であるということ。専門家と政治家の攻防もジャーナリズムがカレントな情報として伝えようとするというだけでなく,検証できるだけの記録を残そうとする人びと(情報管理の専門家=アーキビストやライブラリアン)がアメリカにはいる。日本にもいるかもしれない,でも専門職としてのまとまり方,そして積みあげられてきた信頼が違う。そして,官僚機構が,記録を残す義務を認識しているかどうか,この点もまったく両国で違うと思う。

 最後に,どうでもいいことかもしれんが,ファウチ氏は79歳。トランプ氏は73歳。民主党の候補者争いの中心のサンダース氏は78歳,バイデン氏は77歳。ワシントンポスト誌のこの記事によると,トランプはインドから帰路からアメリカで新型コロナのスピーチをするまで1日半か2日半か,まったく寝ないで仕事していたらしいヨ...まったくもって体力が違うよ。私は50歳を前に体力の衰えとともに老害化しつつあるっていうのに。

2019夏のシンポジウムの裏話というか...

 前回のエントリに書いたタコスのドキュメンタリの「強い個人」への崇敬の気もち。柚木弥太郎さんが,米国ニューメキシコ州サンタフェで還暦のころに訪れたInternational Fork Art Museumで見た心に"語りかけてくる"人形や,インドで出会った"いきいきとしたエネルギー"が表れている"目をキラキラさせ"た人たちから得たものを語った以下に先日出会って,畏れ多くもなんだか似たような感動な気がして,やっぱりそうだよなあ!と改めて。

 私はこの旅に出るまで,自分の仕事について行き詰まりを感じていた。染色の仕事をやめようかと迷っていた。ちょうど年齢は還暦の頃である。このまま染色を続ければ,あとはマンネリになり,自己模倣の繰り返しになるばかりだと。

 そんな時,サンタフェに来て気づいた。「何をやってもいいんだ,やるなら嬉しくなくちゃ,つまらない」と。自らの呪縛から解放された瞬間だった。

(柚木弥太郎『柚木弥太郎:92年分の色とかたち』グラフィック社,2014, p.153.)

結局,自分が自分を縛っていることがかなり多くて,それは,近代人のお作法として身に着けることが求められている"理性(reason)" つまり,人間がもつ"推論(reasoning)" の能力なのかもしれないが,なんだかつまらないよなあと。

 

 ところが先日,足立正治先生と久しぶりにお会いして,8月のはじめに札幌で行ったシンポジウム(今井福司先生に整理してアップしていただいてyoutubeに映像あり;活字にしたら映像は削除しまする)やその前後のゲストたちとのいろいろを話していたら,結局,自分のことも公平に扱うためにはcritical thinkingなんだよなあという話になっていった。いろいろっていうのは,私の偏見やらなにやらが満載の話なのでここに書くべきではなかろうが,要するに,文化的に大きく異なるところで育った私たちが互いを理解し,合意できるところを見出すというのはいかにして可能かということを考えたという話です。私はアメリカ文化大好き人間を自認しており,アメリカ人とばかり付き合ってきて,アメリカ人に囲まれて,自らすすんでアメリカ人(の思考や行動)にすり寄ってきた。きっと一つの典型的な戦後日本の人間ですね...。ただ,この夏のシンポジウムも経て,また近年,私はアジアやヨーロッパの諸国,オーストラリアとの交流が増えてきていて,やっぱりそういう態度で通しきれない自分や,場面を経験するようになってきたわけです。

 そこで,足立先生と,それならば国際的なコミュニケーションや合意形成の必要性が日常化している現代にあって,次世代の子どもたちには何を身に着けてほしいかという話になった。で,critical thinking,そしてRichard Paul博士のお名前が出てきたと。足立先生はPaul博士に直々に薫陶を受けておられて(こちらのブログ参照),以前からそれについてうかがうことはあったのだけれど,今回やっと私の心に届いたらしく,自ら調べるに至りました。ネットに,彼の後継者と言ってよいだろう方というか(まあ端的に言って奥さまですね)が書かれた,Paul博士の簡単な伝記が出てきて,なんとまあ,彼の研究の中心が,reasoningだっていうじゃないですか。ふーん,と思って,もう少しreasoningやcritical thinkingをよく考えてみないと,アメリカの学校図書館研究・実践でよく語られる(information)literacyの理解も深まらないのだろうなと思い至りました。しかしcritical thinkingは(英語で)大量の文献があって,教育実践の提案もいろいろな流派というかがあるようだ(Paul博士のものはその一つ。だが,広く受け入れられている模様)

 information literacyの話は,札幌のシンポジウムでも出てきたが(というか北米の学校図書館関係者と話したら出てこないことはまあない),やはりなんだか古びてきてしまい(エエッ,古びてしまうようなもの=普遍的ではないものだったの❔),北米の関係者ももう少し違う角度で学校図書館を語りたくなってきているようだ。90年代から00年代にかけてのinformation literacyがbuzzってた時代はもう終わったことは確かですよね。実際,立教の学生さんたちと一緒に,アメリカ・スクールライブラリアン協会(AASL)の新しい基準を訳しているのだが,アメリカの学校図書館研究は何か新しいものを出そうとしている(出してきた)。しっかし今回の基準はとにかく複雑で...盛り込みすぎということなのかなあ。

オンラインでの図書館専門職養成国際プログラムの模索

 Netflixの回し者みたいだが,最近,すごく考えさせられたのが,以下の番組。

これを見ていて思ったのが,「個」の強さ。第3エピソードのレディー・カナスタ,第4エピソードの牛肉の解体の仕事に従事するNereida Vejarさん,いや彼女たちだけではない,出てくる人出てくる人が強さの美しさにあふれているように見える。

 『アメリカ人と日本人 : 教科書が語る「強い個人」と「やさしい一員」 』という本があるが,アメリカだけじゃなくて,「強い個人」って世界にはたくさんいるなあと思う。第4エピソードでLAのタコス店でのインタビューが出てくるのだけれど,アメリカ人って病んでるなあ!とアメリカびいきの私が思うほど,この「タコスのすべて」に出てくるみんなが力強くて美しい。(でもそんなメキシコや南米から,アメリカに移民していくのだけれどね...)

 普通の人の個の強さの美をもっと認めないと,信じないといけないのだなというのが私がこの番組を見て改めて思ったことですね。アメリカでは国が一番弱くて,地方政府がその次に弱くて,コミュニティ,家族,でもって個人という話。自立した個人というのがいっちばん強いんだぞ!と聞きますが,日本はまるで反対みたい(笑)。なんて,国政選挙ウィークに書くなんて,センス悪いな,見識疑われるな。

 

 それがなぜ標記のタイトルになるのかと申しますと,今,科研を受けることができて,標記を模索しているのですね。制度を変えるというところは私にはできないな,というか実はあまり自分が興味がないのだなということが,2014年の学校図書館法の法改正(学校司書の法制化)のときにわかったので,ではそこにアプローチするのではなくて,一人でまずやってみるか,と。もちろん,そういうのを面白がってくれる人はいて,大教大の森田英嗣先生なのですけれどね。彼と,科研を受けて,その資金で実施します。国単位で物ごとを変えようとすると,どうしてもボトムアップの発想になってしまうし,もちろんそれはとても大事なことだが,なかなか失敗許されづらくて試行錯誤ってことにはならないから...新しいこと,楽しいこと,挑戦っていうのは,個からしか出てこないのかもなあと思ったのだよね。

 私はずっと,北米の図書館ばかり見てきたが,ヨーロッパにも図書館の文化はしっかりあるので,今回はスペインのバルセロナからも登壇者を迎えます。アメリカの図書館界は近年,"transformation(変容)"一色。でも,ヨーロッパの図書館界では"cultural heritage(文化遺産)"がとても大切なキーワードにされてる。日本はなんだろう❓

 

 会場のモエレ沼公園は,一度は行くべきところですぞ。とても興味深い場所。

 

Road to the Future School and Children’s Librarianship
子どものための図書館サービス専門職養成の国際動向

学校図書館公共図書館の児童サービスの専門職養成プログ ラムも,オンラインでの提供がはじまっています。 北米(アメリカ 合衆国,カナダ)と欧州(スペイン)から,オンラインでのそうしたプログラムを提供する大学の先生方をお招きし,各プログラムの概要と授業方法や内容等について,お話をうかがいます。日本の養成の現状に ついても報告します。
そうしてお互いの現状や課題を理解したうえで,養成の今後のグローバルな展開を展望します。
通訳あり。事前申込制

登壇者
Dr. Sandra Hirsh, Professor and Director
Dr. Mary Ann Harlan, Assistant Professor
 School of Information, San Jose State University
Dr. Jennifer Branch, Graduate Associate Chair and Professor
 Faculty of Education, University of Alberta
Dr. Cristina Correro, Coordinator
 MA in Children's Literature, Autonomous University of Barcelona
Dr. Yuriko Nakamura, Professor and Director
Ms. Ellen Hammond, Specially appointed professor
 Librarian Course, Rikko University

日時・場所・申込先
2019年8月4日(日)10:00-16:30 (12:00-13:00休憩)
@モエレ沼公園ガラス・ピラミッド 
007-0011 北海道札幌市東区モエレ沼公園1-1
***同日,8:30に札幌市民交流プラザからチャーターバスを運行します。終了後も同様に札幌市民交流プラザに向けて運行します。事前にお申込みの方には別途,メールにてご案内いたします。***
こちらよりお申し込みください。

 

主催 子どものための図書館サービス専門職養成研究会
代表・中村百合子(立教大学
副代表・森田英嗣(大阪教育大学),下田尊久(藤女子大学
お問い合わせは, 立教大学司書課程 中村(03-3985-3831)まで