共感と行動。


皆さま,今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 お正月らしい写真をと思って,なにもなかったので,結局,またもや食べもの〜。金柑を煮たのが,時間かかったけど,美味しかったなっ。あと数の子,作ったのに,元旦の朝,食べ忘れた凹。来年は,やっぱり伊達巻きを作ろうっと。

 2012年は拡げる年にしたい,というか,そうなると思っております。(学校)図書館の世界の外とどれだけつながっていけるか,ここが今年以降,テーマになるかな,と思います。図書館なり学校教育なりの世界の内側だけをどうこう言ってもどうこうしようとしても,もうどうにもならないですね,これだけ社会が大きく変わっていこうとしているとき。
 昨年,秋から連続講座を実現でき,本当によかったです。春から足立先生にブレストに根気よく付き合っていただき考えがいくらかまとまり講師を確保できたところで夏になっていましたが,緊急企画として理解してもらえて大学の全学予算を受けられました。すべてのプロセスが,今,思うと,たくさんの方たちの前向きな,できるかぎり支援するよっていう態度に,前後左右から支えられて,綱渡り的に進んでいたと思います。講師としておいでいただいた先生方も,4人の方のうち影浦さんだけが,長年,存じ上げている関係だったのですから,みなさん,すごくすごく好意的にお願いを聞いていただいて,お運びくださり,貴重なお話をお聞かせくださっていたわけなのです。感謝の念に堪えません。
 というように,連続講座の実現もそうだったのですが,新しい職場のことも,新しい住まいのことも,友人関係,人間関係,さまざま,なにかとガタガタして,あれれ変だぞとかえっとどこからどうはじめたらいいのかわからないぞとかいう気づきがあって,とにかく動いて反応をみてみる,ということの繰り返しで2011年が過ぎました。感覚的に,これは好きだ,気もちいいみたいだ,という方向を手探りで探していました。今,なんとなく,いろいろ,わかってきたぞという感じがしてきています。今年はきっと,もう少し頭も使って,意識的に取捨選択もしながら,行動して,世界が拡がっていく,さまざまな要素がつながっていく,ことになると思います。
 ただこの「頭も使って」というところは私は注意しないといけないところで。昨年,ひとつわかったことは,震災と原発の事故に対する自分の動きが,最初,頭と心だけであったことの反省から,これじゃ,だめだなーと。体が動かなかったこと。これを,私は,気づいて,とにかく動いてみた,のが,連続講座だったのですが,もうちょっと,動き方を変えてみたいわけなのですね。まだ,自分の動きが腑に落ちた感じがしないので。頭と体がどうつながったら,自分で腑に落ちるのか,今年,見てみようと思っています(そもそも,頭と心と体と自分(人間)を切り分けて語ってよいのかわかりませんが)。とにかく自分の知性や理性というものを,枠を設定せずに,自分のまわりに壁をなるべく作らずに,行動しながら考えてみたいと思っています。
 しかし何ごとも,感じる,気づくが何ごとも原点ですな。そうしてわかってはいるけれど,行動しない,とならないこと--ここが重要。人間,本当に共感するということがどんなに大変なことか!同じ部署のとなりのデスクに座っていても無関心だったり,自分を賭して行動するほどまでには共感しなかったり。また共感して(した気がして),よかれと思って行動しても,ズレているかもしれない。昨年は,改めて,ほんとうに,考えさせられた。当事者ではないことについて,いかに行動するか。そもそも,当事者であるとか,当事者でないとか,どこから線をひくのか,ひけるのか。
 昨年末にある忘年会で,ペシャワール会「アフガンに命の水を」というDVDを観る機会を得ました。イスラムについて勉強しはじめている私としては,いろいろ思いはわいてきて,この会の支援をしたいなと思いましたが,一方でDVDの中で,とにかく女性が一人も映っていないという事実が衝撃でした。そのことが忘れられないでいたら,元日から,こんなニュースが目に入ってきました。
 今年は,インドネシアからプサントレンの女性教師と女子高生に調査のためにいらしていただきます。これは意図していたことではないのですが,女性,同性であること。このことが共感を容易にすることもあれば,難しくする場合もあるけれど。。これも,インドネシア,モロッコの女性たちとの交流もしながら,今年は考えたいなと思いました。
 まとまりませんが,このへんで。
 4日から9日まで,東北に行くです。またブログに書きたいと思います。