リテラシー史研究から図書館のほうを見る。

 今回の連続講座「情報を評価し,判断する力をいかに育むか」の第3回は,11月26日(土曜日)15時~17時を予定しており,和田敦彦先生から,「読書の歴史から学ぶ・教える」というテーマでお話いただきます。和田先生は,ご著書『書物の日米関係:リテラシー史に向けて』(新曜社,2007)で,複数の学会賞を受賞しておられることにもあらわれていると思いますが,リテラシーに関心をもつ多くの人がご研究の進展を追っている方です。(私の社会科学系研究者のある友人は,『書物の日米関係』を読んだ後,「こんな本を私もいつか書きたい」と目を輝かせていました。そんなふうに言われる本って,多くない気がします。)
 今月に入って,そんな和田先生の新しい著作が出版されました。『越境する書物:変容する読書環境のなかで』(新曜社,2011)です。和田先生のご本はいつも,広範かつ膨大な資料に基づく具体的な事例の実証的研究の積み重ねからの発見の整理を繰り返しつつ,それを魅力的な文体・文章で読者に伝えながら大きな結論に導いてゆく,その作りが絶妙だと思います。また焦点のしぼられた実証的研究の中にも,常に,とても深い問題意識が見えます。メディア,出版,図書館といった分野の人たちだけでなく,リテラシー全般,(日本)文学(の研究)に関心をもつ人たち,(日米の)政治史や外交史,文化交流史等々に関心をもつ人たちにも,広く読まれているのではないかと想像します。(ちなみに,海外で図書館見学をすると,外国語の資料のコレクションには,国際文化情報戦略が反映されていることを感じます。今回の和田先生のご本では,アメリカとカナダの事例が検討されていますが,例えば旧・ソ連〜ロシアにおける外国(語)資料の収集なども,すごく面白いテーマだと思います。2009年にロシアを訪問し,そのあと米原万里さんの本を読んだりして,ソ連時代は国が戦略的に諸外国の資料・情報収集を行っていて,外国語教育も相当高いレベルで行われていた,しかしロシアになってからは,諸外国が文化情報戦略で資料を寄贈している,ロシア側(の図書館)はそれにかなり頼っている,というそういうベクトルの変化みたいなものがあるのではないかという,そういう仮説が浮かびました。(ロシア研究をしている人や,深くロシアに関わっている人には,もうこの仮説への答えがあるかもしれませんが,和田先生のような手順をふんだ実証をすると,また何か違うことも見えてくるかもしれないと思います。)
 また話が横道にそれてしまいました。さて,私が,このご本『越境する書物』を拝読して興味をもった箇所は数えきれません。占領期研究という観点からも,またハワイ研究という観点からも,越境した本たちとそれを越境させた人たちというような観点からも,なるほど〜,そうだったんだ〜,おもしろいなあ〜と各所で興奮して読みました。ただ,そのような個人的な関心から延々語ることはここではやめておきましょう(笑)。もっとこのご本の全体に関わる部分で言うと,私は,巻末の「リテラシー史の問題領域」の整理(「終章 リテラシー史から見えるもの」p.294-304)にとにかく圧倒されました。和田先生はここで,「このリテラシー史の関わる多様な問題領域を,読書環境の形成を軸にして,便宜的にではあるが主に四つの問題領域として整理してきた。」(p.299)として,次の4つの領域をあげておられます。

  • A 読書の形成に関わる領域(説明:書物を享受する能力や,それを生み出す制度や要因など。具体例:教育,教材史/広告,販売戦略/映像表現と読者)
  • B 書物の獲得に関わる領域(説明:どういった組織,個人が書物を提供,または獲得したか。具体例:書店/図書館/書籍の貸借/取次,書籍取引)
  • C 書物の管理,提供に関わる領域(説明:日本語書物をいかに管理,整理,提供するか。具体例:分類,目録規則/検閲や検定/書誌データベース)
  • D 書物の形態に関わる領域(説明:言語表現,印刷,書物の形態や制作者の問題など。具体例:小説表現/作者論/印刷史)

そして,驚がくの事実が,和田先生はこの4つのすべての領域に関わって,ご論考を次々に発表しておいでなのです!
 その上,歴史もふまえたうえで,近年の書物の変容,つまりデジタル化の問題についても,論じておられます。このご本の中では,第3章の「今そこにある書物:書籍デジタル化をめぐる新たな闘争」(p.91-140)においてです。その中で私には,おそらく場としての図書館のことを語っておられる,そして選ばれ(選書され)ひとつの小宇宙としてそこを訪れる人に提示される図書館とそのコレクションについて語っておられる,最後の部分が印象的でした。中略を挟みながら,ちょっと長くなりますが,引用してみたいと思います。

 私が研究しはじめた頃のことだが,数百万冊の規模をもった大学図書館の書庫に入ったときの安心感を今でも思い起こす。(中略)
 当時は,書庫で調べている時のその安心感は,その図書館が国内でもこれ以上ないほどの書物をもっているからだという書物の「量」による安心感だと思っていた。しかし,今思えば,あの安心感は蔵書の多さの問題ではなく,実はそれらがはっきりとした限界をもった空間に配置されていたこと,つまり,目に見える形としてあったからではないだろうか。(中略)
 限界,領域のないなかでは,私たちは情報を位置づけることが難しい。位置づけるためには,とりあえずであれ,情報の全体をイメージ化する必要がある。現実には情報に際限はない。だからこそ,情報の明確な限界,輪郭を段階的にでも作ることが必要なのである。(中略)
 物理的な書物,はじめと終わりがはっきり形をとった書物,そして壁をもって明確にはじめと終わりのある場所,そうしたフィジカルな支え,基準点がないまま,偏在する膨大なデジタルデータを前にしても,それらを位置づけることはできず,個々の情報に翻弄されるしかなくなる。私がここでフィジカル・アンカーとして重視しているのは,こうした情報の参照点,アンカーとなる物理的な枠組みである。
 書物を介在する人物にしても同様であり,自身の生活空間のなかで明確な位置をしめる人物の手を経ることで,際限のない情報は一定の評価のできる形をとる。物理的な形,限界をもった場所と書物が,たとえば「一夏かけて近くの図書館の目当ての棚を制覇する」といった経験を可能にする。それはたとえ過渡的ではあれ,一つの完結した評価の体系を作り上げることを可能にする。そしてまた,そこにある書物,ない書物,という所蔵への評価も可能となる。
 デジタルライブラリは,こうした物理的な箱,境界を形作ることが難しい。だからこそ,こうした限界,領域を意識させるための工夫が必要となる。そのライブラリ自体の限界,含んでいる情報や調べられることの限界を知らせることは,そのための有効な方法である。それはライブラリの欠点を伝えることになるというより,むしろ読者と信頼関係を結ぶための貴重な情報発信として評価されよう。(中略)
 モノとしての書物や書物の場所,仲介者を,単なるノスタルジーから評価するのではなく,感情的に固執するのでもなく,流動し,偏在する書物を読者が自らの生きる空間に結びつけ,つなぎとめるためのよりどころとして,改めて考える必要があるだろう。こうした具体的な形をもったよりどころ,いわばフィジカル・アンカーがあることで,私たちは情報を全体性や体系性のもとに位置づけることが可能となるのだから。(『越境する書物』p.139-140)

 この箇所から,図書館に働く人たちが,自らの,図書館の空間(施設)の準備から,資料の評価,選択,配置(排架),コレクション形成,保存,読書案内やレファレンスサービス等々,資料と利用者をつなぐあらゆる職務の意義について改めて自覚的になることができるのではないかと思うのだけれど,一方で,「単なるノスタルジー」でもなく,「感情的に固執するのでもなく」というところがきっと響いてもくることでしょう。図書館という空間,サービスを準備し提供すること,それがどういう社会的な意義をもつかに自覚的になり,一方でそれをひとりよがりにエゴイスティックに抱え込まずに,自らの立ち位置とその社会性に自覚的に判断し振る舞うこと,その重要性を指摘されたと私は読み,感じました。
 前述のように,和田先生のご研究の範囲は,リテラシー史に関わり,本当に広範です。実は,第3回の講師をどなたにお願いしようとなったとき,和田先生が2003年に『環』という雑誌の「「読む」とは何か」という特集号に寄せられたご論考(「読むことと登ることとの間で:読書と山岳形象の近代」『環』Vol.14,2003 Summer,p.131-144)をまず足立先生が思い出されて,和田先生のお話をうかがってみたい,とご提案くださいました。私は,和田先生の,博士論文に手を加えられて出来あがったというご著書『読むということ:テクストと読書の理論から』(ひつじ書房,1997)のことを思い出しました(この本に挟まっていた「著者インタビュー」の記録がインターネット上に見つかりました。これはとても深刻というのかまじめな応答で,このご本の内容の本質が語られていると思いました。読み応えがありました。)。これらの2つからも,いくらでも,私が刺激をいただいた箇所をあげることはできるし,また,読書の教育に関わっては,これらをご紹介しておくことも重要だと思いました。が,ただ,和田先生から,「『環』に書いた頃とはだいぶ方法や,問題意識がかわってもいます。」と先日,メールでうかがったこともあり,今日のブログでは,最新刊からの私の学びについて書きました。
 11月26日のご講演会では,(ちょっと先のことですので,変更の可能性がありますが)和田先生のこれまでのまた進行中のたくさんのご研究をもとに,どのように読書について学んだり教えたりすることができるのかについて,お話いただくことになりそうです。上記の領域で言うと,Aを中心に,B,C,Dいずれにも関わってくるのかしら(勝手にあてはめて考えていますすが)?!とっても,楽しみです。あ,ご講演は,図書館関係者に向けてのものというふうにはお願いしておりません。広く,リテラシー,読書,読むこと,そして教育の問題にご関心をおもちの方にお集りいただきたいと思います。