問題提起の衝撃

この写真は,李英才さんの工房のお皿。先日購入して,家で改めて手に持ってみたら,あまりの手触りに,作った人の心の温かさ,もの作りに対するまじめな姿勢 --要するに,"愛"だね-- がそのまま伝わってくるような気がした。「ああ私は幸せだ」と思った。直径13cmなのだけれど,写真だと大きく見えるかな?

 今日は,連続講座第1回で,「「知性の自由」を求める教育」というテーマで,中尾ハジメ先生にお話いただきました。今日の会場で最後にカミングアウト?しましたが,中学生くらいにはじめて社会の矛盾について考えるようになって,それが延々続いて私は大学院に進み,図書館研究をしていると自覚していますが,ここ10年くらい,いや留学してからだから15年くらいか,目の前の作業(仕事?)に必死で忘れていた,その原点の気もちがわーっと,蓋をして閉じ込めていたものが開けられちゃったみたいな何か衝撃で,出てきて,自分で自分に驚きました。中尾先生は静かにお話されましたが,児玉龍彦教授の参考人意見・質疑を見たときくらいの何か(衝撃?)を私は受けました。
 このようにどうしようもない状況に気づくと,胸がどきどきして苦しくてたまらなくなりますが,それをおさめるのに,思春期くらいから自分はどうしていたかを今日,唐突に自覚しました。講演会の最後には,私は,今まで,こういうことに対して,(カトリック信者ということで)「祈り」という形である意味で逃げていたんだということを認識していました。できあいのものに"倚りかか"っていた(いる)わけですね。

 まだ気もちの整理はできていませんが,今,思い出すことば(メッセージ)。

”全部がわかってから行動するというわけにはいかない世の中に私たちはいる。”
研究者って,研究はしても(何か意見表明を明確にするような)行動はしない人も少なくないように思います。第三者であるふりをして客観的に語ろうとすると思います。でも,真理の探究って,一人の人生じゃ終わらないからね。。やっぱり行動しなきゃいけないのかなと,私は思いました。「情報」「知性」「行動」これらの言葉を,近いうちにもう一度,考え直してみようと思っています。

 それから,こだませんせー(彼のブログはこっち)の以下のような質問。
"一部の真実を伝えるウェブページに数十万回のアクセスがあっても,1億3千人に届いているわけではない。ソーシャルメディアの意義と限界をどう考えるか。"
結局,古いやり方なのだけれど,デモといった現実の行動を起すしかないのではというふうに中尾先生は思っておられるという回答。

 ちなみに第2回以降からでも,参加受けつけております。申込のための詳細はこちらです。来月の第2回は影浦峡先生をお迎えします。これまた衝撃を受け(てしまい)そうな予感・・<翌9.25追記>
 一日あけて,"国家主義者じゃなくても,国家主義者と話さなきゃいけない"というメッセージも,強い力をもって思い出されてきました。たいてい,通じると思われる人としか私は話そうとしてこなかった,と本当に思う。<翌翌翌日9.27追記>
 26日の朝,なぜか強く,忘れないようにメモしておかねばと思って,手帳にメモしたこと。

  • あの日,3号機の爆発についての同じ映像を数回,見たこと,チェルノブイリの死の直前の子どもの映像を見たこと,そうした厳しい現実の映像は,私の感情を激しく揺さぶった。あんなに真剣に見なければよかったとまったく思わないと言ったら嘘になるが,しかし,この現実を出発点にしなければ,ぜんぶ嘘になってしまうということかと。。(両方の映像の読み解きはいろいろできるにせよ。)
  • 見ないで育った私,を認識。大人の世界,特に"死"は母親が遠ざけ(てくれ)ていた記憶を思い出した。
  • あの日「見たい,知りたい」と私は言ったが,好奇心の範囲で言っていた,本当にぜんぶを見たい,知りたいとは思っていなかった自分に気づいた。
  • 子どもたちは知ることの責任をどう認識しているのだろうか?これをどう教えるか?情報探索の理論の先にある責任と行動をどう教えるか?情報教育における情報倫理には,行動に対する責任までも含むか?
  • メディアの権威に寄りかかっていては,誰も図書館に来なくなる?