連続講座第1回リアクションペーパーのリンク集

 まずは足立先生のブログのこちら。以下は,私に印象的であったことば。

  • 3月11日以後、原発事故をめぐる人々の反応はさまざまだ。「専門的知識もなく、メディアの報道も信じられない」といって、何も考えない人。「東電や政府は正しい情報を開示すべきだ」と怒って、安全の判断や自分たちの行動までも政府にゆだねようとする人。ネット上に仲間を求めてツィッターをフォローし、憶測や不満を共有し増幅させつづける人。それで、いったい何が変わるのだろう?
  • 現実と向き合い自分のことばをつかって思考を深めようとしない大人に、子どもの言語力や思考力を育てられるはずがない。まず、私たち自身の知性のありようを問い直して現実社会とかかわるところから、社会変化の担い手となる(社会の意思決定の主役となる)市民を育てる教育につなげたい。それが、今回の連続講座にのぞんで私が期待していることである。

 
 こだませんせーのブログのこちら。以下は,私に印象的であったことば。

  • 学校の授業に新聞を導入する動きが、新聞社の販促とセットになってあります(いわゆるNIE運動というやつです)。これは、新聞をつくってみよう、だとか、新聞の見出しを比べてみよう、とか、そういうことが多いのですが、新聞そのものを疑ってかかろう、ということには絶対になりません。その段階で、授業が絡み取られているのだと思います。
  • おそらく90年代以降、冷戦が終わり政界再編が進み、阪神淡路大震災の経験を経て、NPOやボランティアが伸長してきた背景には、「行動したいから行動する」というポジティブな社会運動への態度が登場したからだと思うのです。「知った責任」はたしかにあるのでしょうが、「行動しないことへの道義的責任」は問えるのでしょうか・・・。[改行と空行を略]・・・と、直後には思ったのですが、少し時間を置くと、「責任」と考えるとしんどくなるのであって、論語に曰く、「義を見てせざるは勇なきなり」だと思えば、少しは積極的に考えられるのかな、と思ったりしています。

 第1回の講座の開催を単純にではなくとても助けてくださった,S大学の院生さんがブログに書いてくださったリアクションペーパーはこちら。・・考えさせられる内容でした。例えば以下のような記述。私も,「認識論」の問題を,リテラシー教育の議論において,取りあげる必要を感じています。(中尾先生に先日のご講演の導入もそのことを示唆していたのではないだろうか。。)

  • ついこのあいだまで(3月11日以前まで)「知っている」つもりだったことが、[改行を略]いまやまったく「わからない」ことになっていて、 あるいはその一方で、「知らない」と(理性的には)わかっているはずのことに対して[改行を略](それを明確に言語化できないながらも)、明らかに強い拒否反応を示してしまうのだ(おそらくそれは身体知的レベルで)。
  • いま、この国は「知ることのできない知」、「語ることが極めて困難な知」について、[改行を略]語ることを求められる時代に差し掛かっている。[改行を略]必ずしも言語化できない、客観化できない、[改行を略]そんな知の在り方と正面から向き合わねばならない時代に。[改行を略]もしそうならば、そこで浮上するのは、単なる情報判断能力を乗り越えた、[改行を略]もっとも根源的な知への思考、形而上学的な思惟、[改行を略]哲学的な分類でいうところの「認識論」を巡る問題なのではないか・・・[改行を略]このような論理は当然飛躍しているのだが、[改行を略]それでもそんなことさえ考えてしまうほど、[改行を略]今現在の「私」の知は、かなり混乱をしているということだろう。

 ちなみに私は,24日当日の夜から少しずつ,こちらに書いています(おりました;今はこのリンク集に力を入れてます)。

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追伸:今日,足立先生から教えていただきました。中尾先生のご本が出るんですって。これです。