反知性主義と向き合う

 図書館の関係者が、私たちは知的自由を守るのだ、という主張は今や聞き飽きるほど言われているが、図書館の営みは反知性主義と闘うことでもあるなあ、知的自由と反知性主義の関係はどうとらえたらいいのかしら、と最近よく思う。
 雑誌『現代思想』の2月号の特集は「反知性主義と向き合う」。
 この最後に、ジュンク堂福嶋聡さんという方が「憎悪・排除・批判:闘技場としての書店は、今」というタイトルで書いているのものが興味深い。「図書館の自由」がいかに中途半端か、と考えさせられてしまう。
 ジュンク堂のウェブページで、福嶋さんの文章の一部が紹介されてた

 だいぶ違う話もうひとつ。
 NHKのプロフェッショナル仕事の流儀。先日見た、ラグビー日本代表監督の回、大変、おもしろかった。教育関係者は見てよいかと。ラグビーでもサッカーでも、見ていて思うのは、結局は、欧米との教育や人間観、社会観の違いによって、日本の選手はそのスポーツの真髄がわからなくなってしまっているということ。日本のサッカーやラグビーが強くなるのは、きっと、多文化共生社会へとほんとうに日本が向かいはじめるときじゃないかしら。
 (前任校で出会った、ラグビーに本気で取り組んでいた奴らが懐かしい。私はラグビーを本で読んで勉強したりしたものだ。とっても面白いスポーツだと思ったけれど、本で読んでも、どうもルールも全部はわからなかったなあ(当たり前か)。)