「お願いだからやめて」

 昨日の安保関連法案の衆院特別委員会での採決の記事で、辻元清美氏が最後、「お願いだからやめて」と委員長に詰め寄って叫んでいたという記事を読み、映像を見て、ほんとうにしみじみしてしまった。昨日の私の気もちは、お願いだからやめて(涙)、とはちょっと違ったけれど、彼女が最後にそのことばを発した気もちはわかる気がした。昨年の春、私も最後の最後まで、学校図書館の戦後史を私の知る限りですけれど思い出しながら、信じてた、というか、信じようとしてたのよね。最後は、「お願いだからやめて」と一人、胸の中で、かぼそい声でだけど、、、だったよね。。。。。
 改めて、日常的に、人とわかりあうことがだいじ。選挙はほんとうにだいじ、だと思う。
 学校図書館法もそうだが、戦後初期の立法が、理念から、こう、、、、、、、ああ、ごめんなさい。どういう言葉を選べばいいのだろう。

(2015.7.30追記)大学院時代に医学図書館でアルバイトをしていたときにいっしょだった方が、朝日新聞の安保法案学者アンケートに答えているのを見た。ら、自由記述欄に、次のようにあった。

 今般の安保関連法案に対する内閣法制局の説明に説得力が乏しく、法制局の憲法解釈が9条の規範性を不安定化・低下させることは、法制局自身が最もよくわかっているであろうと思われる。

 内閣が、自らを補佐するプロフェッショナルの意見を無視して、雇い主だということを理由にそれを顎で使って、現実的な実益もない個人的情念を実現する――そうした政治文化が、社会の一種の平等志向の下で許容されていることを懸念している。

 そう。先日の上記の文章で私が書きたかったのは、法制局の近年の動き方のことです。司書教諭以外の職を学校図書館法に定めることにかかわっては、法制局とのやりとりというのが、過去もあった。内閣法制局は当然出てきていなくて、議院立法での改正を目指していたわけだから、議院法制局だが。私が確認した限りで、衆議院法制局が四者合意のころに法改正の案を作ることに関与していたことは少なくともはっきりしている。(こうした歴史については、徹底的な調査と検討まではできなかったが、当時、よく知られていたという話のレベルでは、『図書館情報学教育の戦後史:資料が語る専門職養成制度の展開』に書いた。)学校図書館法について、過去、どのような議論が法制局に持ち込まれ、なぜ改正が実現せずにきたのか、昨年の法改正のために働いた法制局のプロフェッショナルは、どう考えていたのだろうかと思う。法制局というプロフェッショナルの組織と、内閣や国会議員のあるべき関係について、不勉強でわかっていないながら、上掲の引用のようなことが起きているのかなという感じは、私は昨年の学校図書館法改正についても、もっていた。学校図書館法改正の方がまだ、歴史的な整合性があるように見えはするが(法制局側が一貫して譲らない部分があったという)。
 歴史をすべて知らなければ現在を生きるものが判断、行動してはいけないなんていうことはないと思うが、法改正の仕事をするとき、なんども法改正が試みられてきたような、議論がさんざんあった法律については、先輩たちがどう判断してきたのか、見ていると思うのですよね(そうあってほしい)。繰り返しになるが、今回の学校図書館法改正の法案を詰めた法律のプロフェッショナルたちは、なにを思っていたのだろうと思う。もちろん、国会議員らの動きとその背景にある国民の動きや意思が主権在民を掲げる国の判断の基本ではあるが、プロフェッショナルたるものの働きがあってしかるべしだと思うのだけれどナア。
 立法府というものについて、私はあまりにも知らな過ぎる、とこの数年のさまざまな立法を見て、思いますね。ちなみに、朝日新聞憲法学者らに対するアンケートは、次のように、2015年6月下旬に依頼・実施したものだそう。(引用はここから)

判例集憲法判例百選」(有斐閣、2013年発行)を執筆した210人のうち故人1人を除いてメールなどで実施。一部無回答を含め122人(実名85人、匿名希望37人)が回答した。法案と憲法との整合性を問う質問は四つの回答から選ぶ選択式

 この調査結果で、私が興味深かったのは、質問4「現在の自衛隊の存在は憲法違反にあたると考えますか。」への回答。これはこれで、考えさせられる。以前から議論のあったこととはいえ、こういうふうに調査結果がカウントされて、ある意味単純化されて示されるとね。。
 ちょっとずれるかもしれないが、以下、以前、某大学校に勤務経験のある先生から聞いた話(私の理解と記憶のことだから、そう思って読んでくだされ)。アメリカの士官学校アナポリスとかですね)では、「平和」について哲学的に徹底的に議論させ、考えさせる。日本では、、、、という。確かに、「United States Academy curriculum」なんててきとーなキーワード連ねてネットで検索すると、「moral」「ethics」「human dignity」についての記述が出てきますね。
 やっぱり、社会とは、国とは、法とは、憲法とは、から、自分は知識も思索も足りないなと思う。

(2015.9.12追記)昨日の参議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会で、福山哲郎氏が、法的安定性の件、内閣法制局長の見解が先代と変わったのかを問い詰めていましたね。しかし、戦闘についての議論の内容や、「魂、売ってる」という発言は、私は聞いていてつらかった(ここで映像見られる。1時間を過ぎたあたりから)。デモも、そこで大声を出している人たちの言葉づかいが、嫌なんだよね。ちょっと前だけど、金曜日夕方に国会前を通って、改めて思った。政治参加って難しい。。

(2016.2.19追記)2月13日に毎日新聞が、「9条解釈協議録残さず:法制局長官、与党接触時に」という記事を載せた。記録というものが軽んじられる日本だよのう(涙)。

(2016.2.26追記)
内閣法制局について、朝日新聞Globeにいい特集ページがあった。こちら。