インサイド・ヘッドにアメリカを見る

 またピクサーの映画。ネタバレまではしたくないし、ちょっとだけ書く。
 まず、原タイトルはInsideout。改めて、なんでタイトルを変えるかなと思う。意味、違う気がするんだけど。かつ、はっきり申しまして、冒頭の、日本配給向けのミュージックビデオ、ほんとにいらない。タイトルを変えるのも、日本での配給に向けてプロモーションのためだか何かを付けるのも、もうそういうビジネスになちゃっているのだろうとしか思えないが、ほんとうにやめてほしい。観に行っておいてなんだと言われそうだが、タイトルに手を入れたり特別なビデオ付けたりするのにかかっているお金が映画料金から引かれたら、映画館に行く人、増えないかね?これらのプロモーションの効果ってほんとにあるのかな。一度、ビジネスモデルを見直した方がよくない??
 内容に関わって言うと、教育学や心理学を学んでいる大学生相手に観せて、その後、英語での批評なんかの文章を読ませて議論させたら、おもしろい授業になりそうだと思った。要するに、これまたいかにもアメリカの映画でありまして、映画全体が、嫌味っぽくない(ちゃんとエンターテイメントになっている)とは思うのだけれど、カウンセリング的なんだよね。英語で「insideout phycology」とかって入れて検索すると面白いレビューがいろいろ出てきた。Phycology Todayというサイトにあがっているレビューによれば、Paul Eckmanなる心理学者が言う6つの普遍的感情カテゴリ(これらは顔の表情と一致していて、洋の東西を問わず、人びとが認識している感情なんだそうな)のうちの5つがこの映画で取りあげられているとのこと。抜けちゃっているひとつは驚き(surprise)。まあ、この映画の中では、驚きを入れるのは難しいかなあ〜。(ちなみにこの5つの感情カテゴリというのは、wikipediaの引用の範囲だけど、1992年の論文によるらしく、1999年の論文で、もっといろいろな基本的な感情をこの研究者は追加で指摘しているらしい。すべてwikipedia見ただけの情報、すみません。)
 こういう、研究とエンターテイメントが結びついているっていうようなのがまずすごくアメリカ的だ、というのが私の観終わった後の第一の感想だった。だから、授業に使えるなーと。あとは、アメリカって、joy以外を表すのが普段はあんまり許されている感じがしない社会だよねって改めて思ったかな。いっしょに観にいった人は、恐れ(fear)の存在感の薄さというか、何の役にも立っていなかったようだったのが極めてアメリカ的と言って笑っていた。ま、勇気っていうのがほんとうに賞賛される社会だとは思いますね。日本だと、少なくとも私が知る職場では(申しあげておきますが、私はけっこういろいろな職場を経験しております(笑))、何か新しいことをして、職場が揉めたり、失敗したと複数の人が考えるようなことになったりすると、もう大変。「余計なことしやがって」という主旨の発言がほうぼうから聞こえてくる。イヤダネー。(ちゃんと考えられていたものの場合、ですが、)何もしなかった奴よりえらいだろ、というのがアメリカ的な考えであり、たいていの場合、私の考えでありますな。あ、なんかまた話しがズレて終わります。