被災地の支援

 陸前高田市生出(おいで)地区にある炭の家の前の風景。2012年1月7日朝の風景。管理人さんのご配慮にあふれるこちらに2泊し,とても快適でした。
 陸前高田の市街地にカメラを向けることは,私は,できませんでした。カメラを出そうと思わないよ。。

 陸前高田市を訪問。しかし市立図書館は津波で全壊で,そうした被害の報告はネット上にすでにあるし,図書館について今,私が書けることは,実際,PCの前に座ってみると,無いなと。
 2011年3月11日・・この日がどれだけ多くの人たちの人生を変えたか,と,とにかく,本当に本当に,心まるごと,ずっしり,考えてしまっている。しかし実は,市街地に行ったときには,私は,すぐには,心が強く揺さぶられる感じはなかった,私の場合。むしろ,理性的に,考えた(とその時に思っていた)ことをしゃべっていたのではないか。ただ,出会う人たちの心の傷は,誰と話しても,明らかであったが。そして・・陸前高田を離れて一日が経ち,今夜は盛岡で岩手日報勤務の旧友と飲んでざっくばらんにいろいろ話して,そして今になって,いったい神さまは何をお考えなのかと,たまらない気もちが体全体を埋め尽くし,ものすごく悲しいという感情どどーっとわいて出てきた。10か月弱が過ぎ,町には何かかにかと少しずつ変化が現れているようだった。しかし,物理的にも精神的にも,あの日の前に戻ることはない。そんなたまらない思いにつかまえられて,それでも生きていかなければならない人たちが,この世には,どれだけいるのか。人生とはいったい何なのか。
 私の勤務する立教大学は,陸前高田市生出地区での林業体験プログラムを課外活動として実施してきており,震災前からご縁があった。震災後,学内に東日本大震災復興支援本部が設置され,同本部を中心になんらか支援活動をしようとしてきており,中でも陸前高田市には継続的にボランティア派遣を行っている。震災後しばらく,各種メディアから,沿岸地域の津波の映像が目に入らない日はなく,誰だって,いてもたってもいられない気もちになったと思う。誰だって,現地に駆けつけたかったよね。私も,原発事故にまつわって,これまでもこのブログに書いてきたようないろいろを考えながらも,一方で,津波や避難所などの映像は目の裏に焼きつけられており,地震の被災者のことも,頭と心の片隅にはずっとあったと思っている。夏ごろ,たまらない気もちになり,一度,ボランティア参加をまじめに考えたのだが,うまく行かなくて,また私自身,体がしゃかりきには動かなかった。それが,石巻市訪問のあとの陸前高田市訪問が実現する展開が今回はあって,とにかくなにかできることがないかと,どうしても直接それをうかがいたくて,真剣に,真剣に,覚悟を決めて,伺った。
 しかし,被災地で,また昨日来た盛岡で,さまざまな人たちの様子からわかったと思ったことは,おそらく10か月が過ぎようとする今だから見えたと思う次のこと。それは,被災地への支援の申し出の対応の大変さ。私の訪問への対応だって,大変だわよね,あたりまえだけど。たとえば,図書館に関わることだと,とにかく本を送りたがるグループや人たちが多い(多かった)みたい。それは,私は,開発途上国に日本から本を送るプロジェクトの現地での実態を各地で見聞きしてきていたので,想像はできていた。けれど,なんだか,開発途上国で起きていることより,ひどいなという気がしました。はっきり申しまして,被災してただでさえ復旧に忙しいところに,どんどん本が送られてきて,それらをありがたく受け取らねばならない。しかしそれが分野が偏っていたり,重複図書だったり,古かったり汚れていたり。また分類等の整理もされていない。そんな資料の寄贈の申し出の対応だけで,被災地って,疲弊したりしてるんじゃない??(今回お会いしたどなたもそんなこと言わなかったけど,私は勝手にそう思った。)
 おいおい,全国的にコーディネートしろよ。アメリカならAmerican Library Association(ALA)がやっちゃうんだろうし,ライブラリアンたちも,ALAにとりあえず連絡するか,ってなるんだろうけど,たぶん。日本では,いろんなことがあまりにもばらばらに起きている。根本は善意なんだけど。
 確固たる専門職団体の欠如。というか,さまざまな意見の食い違いから,専門職団体が一本化できていないことの弊害を,石巻から陸前高田,盛岡の旅で,私は今回,改めて思った。どうしたらいいんでしょうね。。いろんな団体がいろいろやってるけど,全体をコーディネートします,と言い切ることができる,自信のある(図書館界から信頼されていると自負のある)団体が出てこれなかったね。そしてそういう業務を本当にできる力もある団体。こういうのって初期に手をあげて出てきてくれないとだめなんだねー。
 中央集権って,もちろん,一元的な価値の押しつけになることも多いだろう。けれどさ。限界集落の教育の質の確保とか,こういうときの全国的コーディネートとか,どこかで全体を見ていて判断する人,リーダーシップの発揮って,必要なんじゃないかなあ。だけど,信頼されていない人が中央集権的にふるまうのはもちろん,ダメ。どうしたらいいのかな。
 で,今朝,岩手県立美術館に行ったのですが・・美術品って寄贈が容易ではないでしょう?だからっていうことでもないのかもしれませんが,美術館は美術館としての,独自の被災地を応援する取り組みをしているんです。復興支援展示「私たちがIMA(いま)在ること—7人の現代美術家たちによる—」の作品群,この企画,素晴らしかった。何時間でもいられると思った。しかもこれ無料。
 図書館が図書館としての応援ってどういう取り組みがあるのかな,本を送る(つまり本の力にフォーカスする)だけじゃなくて,図書館としてって。美術館は,美術館の再建の支援じゃなくて,美術館によるいわゆる復興支援,を考えているんだよね。被災地の図書館の支援というよりも,図書館をとおした,図書館による,復興支援--この視点も重要だと思いました。被災地に司書が乗りこんで行って,早い段階から,生活情報の提供等を行うとかね。先日,ニューヨークのOccupy Wall Street運動でも図書館が設けられたって記事を読んだ。図書館って,こういう存在なんじゃないかなー,切実な情報ニーズの中から生まれてくる。
 いつか,もう少し経ってからかもしれないけれど,今回の被災地支援の問題を,図書館界の中で,反省的に,議論する必要があると思う。私は私で,今,少し考えはじめたことを書いてみた。けれど,少し時間が経つと,また違うことが見えてくるかもしれない。