フィンランドの社会と図書館


能力が余ったら、あなたはどうしますか?
(能力が余ったら、というと露骨な感じがしますね。余力があると感じたら、と言った方がいいかな〜) もっとも、日本にいて、能力が余ってるなあ、もてあましているなあと感じることのある人なんて、いないのかな?
 フィンランドにいると、ああ、この人たちって、本当に、助け合いが彼らの文化である、というような人たちだなあと感じます。学校教育の段階から、先にできちゃった子が、できない子を助けてあげる、というようなことが日常的にある教室運営だと聞いたことがありますが、さもあらん、という感じです。日本では、教室で、先にできた子は、他の子をじゃましないように黙ってなさいと言われるような感じがあるのではないでしょうか。私はある進学校で、一番前で居眠りを堂々としている子がいて、先生が何も言わない、というのを見たことがあります。その理由は、なんと、もう課題ができたからあとの授業を聞く必要はないと本人が判断して、寝ていた、ということなのでした。わからないで寝ている子はともかく、よくできる子には、その子にだけの特別の課題を渡すか、または寝ていても叱らないか、といったことが、日本の教室運営では、よく見られるかたちなのではないでしょうか。フィンランドの学校で、そういう教室運営がされているとは、私には想像できません。そんな教室運営をしていて、社会がこうなっているはずがない。いろいろな場面で、彼らがとてもやさしい人たちであると感じます。それは、ノルウェーからの代表で、今、IFLA学校図書館分科会の委員長(Chair)である方にも、ずっと感じてきたことです。"共生"という言葉が浮かぶなあ、北欧の社会にいると。違う個人がともに生きるわけですね。
 数年前、ロシアに行った時(この旅のあと、こんなの書いたのを思い出した)、共産主義がここで試みられたことは、分かる気がしました。というのは、とにかく寒くて、とにかく広い。この地で、みなが死なないためには、助け合わないといけない。だって、ホームレスなんかなったら、死んじゃうよ、あんな寒いところで。トルストイの民話なんかのイメージそのままの農民、が今でもたくさんいると見えたし、ほんと、トルストイのまんまの世界だったなあ。。それで、やっぱり、北欧も、すごく寒くて、助け合うのが当たり前なんだなと思ったです。一昨年のスウェーデンのときには、このことにあまりピンとこなかったのですが。
 で、今回、フィンランドの社会が、スウェーデンの社会よりわかった気がするぞ、というふうに感じたのは、北欧が2度目の訪問であったこともあると思うけれど、本会議がはじまる初日のオープニング・セッションが大きかったと思う。というのは、ひとつは、基調講演をした、科学捜査のための歯科医(forenwic dentistってこういう意味だよね?)で、フィンランド大学教授のランタ先生(Helna Ranta)のそのお話が、一昨年の基調講演の先生方のお話(私の記録はこのへん)と、こう、根底に、共通するものがあるなあと思ったのです。お話の内容は、アフガニスタンボスニア、シリア、マリ、コソボユーゴスラビアといった20世紀末に内戦があったり、民族紛争で難民が大量発生したり、大量虐殺があったりした地域をあげて、そうした地域で起きた戦争犯罪には、文化遺産が破壊されたり、お金でやりとりされたりといったことがあったことの指摘があって、、私たちライブラリアンは文化遺産の保護を行っているわけだけれど、それは、人間性(humanity)を守るということでもあるという趣旨のお話だったと思います。憎しみの連鎖を止めること、「正義は、許し無しにはあり得ない(No justice without forgiveness.)」と、非常に力強く仰られました。生き残った人たちは私たちの教師である、「彼らの声を聞きなさい(Listen to their voices.)」という言葉も心に残りました。また、ただ見ていること、書き記すこと、何も決定しないこと(decide nothing)、しかしそれらの"沈黙"は、加担であるという趣旨のご発言も。これは多くのライブラリアン(また研究者)の態度ではないかと思われ、みな、耳が痛かったと思います。とても厳しい内容だったと会場にいたみなが思ったと思うけれど、だけど、北欧のこの今は穏やかな国に住んで、なぜここまで彼女が、静かに、しかしほんとうにほんとうに怒っているのか、、それを考えたら、結局、(自分よりおそらく弱く、またたまたま自分より恵まれていない場所に生まれた)隣人のために、ほんとうに、人は、なにをすべきか、ということを考えているわけですね。としか思えませんでした。そして、彼女は力があって、ほかの人にはできないかもしれない行動をしている(ほんとにほかの人ができないかは、また別に議論できそうだけど)。
 そのあと、Iiro Rantalaさんというピアニストの演奏がありまして。フィンランドの音楽は短調、メランコリーなものが多いなどと言って、弾いてくださった2曲の哀しくも美しいことといったら!このお二人で、これはフィンランドの歴史をものすごく知りたくなりました。
 実はこのオープニング・セッションの日の前日に、学校図書館分科会の常任委員の会議があり、それが終わったあと、ヘルシンキ大学の図書館(兼・国立図書館、という驚きの図書館)を見学し、そのあとに大きな本屋さんに行ったのです。そこで、児童書コーナーを見ていたら、カレワラ(Kalevala)という、フィンランドの民族叙事詩を子ども向けに短くしたものがあって、そういえば、となって、お店の方に、カレワラについてうかがってみました。この作品、一緒に本屋さんに行った先生方に言わせれば、日本の古事記じゃないかということですが、ほんとうに壮大な物語のようで、フィンランドの教科書にも当然、出てきて、誰もが知りたる作品だそうです。あの、トールキン先生は、カレワラを読みこみたいがために、フィンランド語を学んだ、というではありませんか!わ、わたくしも??ヘルシンキ中央駅前の国立美術館アテネウム美術館)に、このカレワラを描いた、アクセリ・ガッレン=カッレラ(Akseli Gallen-Kallela)の作品があるというので、ヘルシンキ滞在最終日の今日、見に行きましたが、なんと、今、ドイツに貸し出されているとのこと。しかし、この美術館の常設はほんとうにすばらしく、恐るべきレベルの高さ、と私は思いました。Hugo Simberg氏、Ville Vallgren氏の作品は一目で、心を奪われましたが、それ以外にもいろいろ気になった!付設の本屋さんで、4冊も、フィンランドの画家について書かれた重〜い本を、買ってしまって、、これからスーツケースに入れるのですが。。
 話がまたズレましたが、ようするに、私の目から見ると、この絵画や塑像のテーマもおんなじなんだよね。あと、昨日、がまんできずに買ってしまったPentikさんのハンドメイドのお皿にもそう感じるんだけど。。人間の弱さであり、悲しみであり、そしてかすかだけれど常に人の生の根底を流れるよろこびであり。その融合なんだよね、どの作品も。やっぱり、この国の歴史の反映だと思うなあ。ロシアとスウェーデンに挟まれ、脅かされ続けてきた、ここの人びとが、とても、やさしい人たちであること。ホビットみたいに。これは私は、もう隠しようのない真実だと思うわ。って、隠す必要ないけど(笑)!!
 ところで、ヘルシンキ大学図書館フィンランド国立図書館のほかに、今回のヘルシンキ滞在中に訪れた図書館は、公共図書館4館と大学図書館1館です。会議場の目の前だった、ヘルシンキ市のPasila Library。中央駅から電車で15〜20分くらい?のEspoo市のEntresse LibrarySello Library、そして中央駅前の郵便局の2階の音楽専門図書館Library 10、そして、郊外の名門大学・Aalto University Libraryです。こちらの大学図書館は、著名な建築家Alvar Aaltoの作品とのことですが、16時ちょっと過ぎに到着したら、ちょうど閉館したところ(夏休みだから早かった)。中が見られませんでしたが、職員の方のお話によれば、2階に降り注ぐ陽の光がすばらしいとか。残念でした。Sello Libraryは非常に大きく、Turku市の図書館の次に、フィンランドで忙しい図書館(どういう統計から言っているのかは聞きそびれましたが)だそうです。
 公共図書館については、オープニング・セッションでのフィンランドのライブラリアンの方のお話で、図書館は社会的機関の中でもっとも総合的(general)だ、という発言が聞こえてきたけれど、確かに、フィンランドの図書館は"general"という形容詞が合うようです。館種による違い、というものは、あまりない印象で、公共図書館がすべての図書館であるという感じです(学校図書館も無いと言って、大きく間違えていないらしいですし)。居間のような部屋、人びとの近くにあるべき存在(大学図書館も、すべての人びとに開かれているべき(学生にだけではなく))、平等、教育、文化のための存在、そういった表現があちらこちらで聞かれました。音楽専門の公共図書館が中央駅の駅前にあるように(要するに、東京駅の丸の内南口の郵便局の2階に図書館があるという感じか)、音楽が公共図書館の中で占める割合が、日本と比較になりません。これは公貸権と著作権との兼ね合いだと思いますので、日本の公共図書館もこうなるべきなどと簡単には申せませんが、CD、DVD、楽譜、はたまたテレビゲームのソフトの提供・貸出、楽器と演奏室の館内設置、メディア変換のための機器の提供(例えばLPレコードを持って行って、CDやMP3に移すことができる)は、どこにでもあるようです(本日の写真は、Sello Libraryの音楽コレクション)。ただし、インターネットからの音楽のダウンロードが広まっているので、音楽ソフトの予算が減らされているとのこと。それから、ヤングアダルトのコーナーでは、ビリヤード台の設置も、多くの図書館がしているのかなという印象でした。ただ遊びに来るだけでもいいよ、という姿勢です。Entresseのヤングアダルトの責任者の方は、来館者人数も、政治家に図書館の成果として示すことのできる重要なデータという趣旨のことをおっしゃっていました。Sello Libraryには、セラピードッグくん(彼のfacebookこちら)がいました。寄り添って一緒に読書してくれるそうです(読書(音読・黙読)に集中するよう、訓練されているとのこと)。こうしたわんちゃんはフィンランドに3匹。でも、ちゃんと訓練された有資格のわんちゃんはこちらの彼だけ。訓練プログラムはアメリカのこちらのものだそうです。
 さて、あとは、帰国後に、出席したセッションの学びの記録を書きたいと思います。今回は、3回で、IFLA年次大会出席記録は完結のようです。学校図書館分科会の会議の内容等は、こんど、本学の司書課程紀要にでも、8年分の経験をまとめて、発表しようかなと思っておりまする。

(2012.8.22追記)フィンランド語は、スウェーデン語とは、語族が違うということを今さら知った。両国の文化はけっこう違うように私に見えたが、これも一因かな。