『理想の図書館とは何か』


ペスカトーレ。写真も私のケータイで。光のとりかた,ライティングがだめですな。でもって,また食べ物の話をするのも何なので・・お皿は,昨年,信楽に行って窯元うつわさんから連れて帰ってきたもの。このお皿は,店主のおじさんに購入前に説明していただいたとおり,特に形が本当によくできているのだ。人間工学よ!このおじさんはすごかった。

『理想の図書館とは何か:知の公共性をめぐって』(根本彰,ミネルヴァ書房,2011)を読んだ。『知の広場:図書館の自由』(アントネッラ・アンニョリ著,菅野有美訳,みすず書房,2011)と合わせて読んでみて,と最近,機会があると学生さんたちに伝えている。
 根本先生は,また私と一緒に立教で司書課程を担当してくださっている永田治樹先生も,「library as place」を「場所としての図書館」と訳しておられる(永田先生の書かれた,関連文献でフリーのものを見つけたので,リンクをとりあえずここに)。「場として」「場所として」の両者の違いについて,『理想の図書館とは何か』にも収載されているが,このご論考の中で,根本先生は,なぜ「場所として」をとるか,その理由を書いておられる。勉強になりました。翻訳って本当に難しい。ただ,語のリズムや音感では,「場として」の方が,「場所として」より,いいように思うのは,私だけだろうか?また,「場としての図書館」と言われる場合には,「☆☆の場としての図書館」という言い方が多いような気もしますが,どうかな。。
 根本先生のご本よりも少し前に出た『知の広場』については,書評や読後感がネットにいろいろ見つかりますね。図書館関係者だけが読んでいるのじゃないみたい?!そうした業界外の読者の方たちは,この本から,広場としての図書館,というテーマのほかに,図書館専門職,司書の役割についてはどう読み取っているのかなと気になります。。私は,場所としての図書館というと,やっぱり図書館を"ひろば"と見ることに魅力を感じます。足立先生がずっと言っておられることですが(ブログにもここに書いておられる)。
 アメリカ図書館協会(American Library Association: ALA)「図書館の権利章典(Library Bill of Rights)」の1980年に採択された新版の前文には,次のように謳われていることを思い出します。

The American Library Association affirms that all libraries are forums for information and ideas, and that the following basic policies should guide their services.

forumって,ひろばでしょう?図書館は情報と思想のひろばだ,って言っているんですよね。ちなみに,"Bill of Rights”は"Bill of Rights"だから,"権利章典"だよね。宣言じゃなくて,章典と訳すのでよいと思うけれど。米英の"Bill of Rights"の歴史を見ると,それが"Library Bill of Rights"につながっていることを感じる。そして,少なくとも人権や図書館の自由と関連づけられた近代の図書館の理念は,もとはアングロサクソンの文化のものなのだなあと感じます。
 戻りまして,根本先生のご本については,第7章が迫力。これは私は『図書館界』に掲載されたときに読んでいましたが,根本先生の近年の(公共)図書館論がまとめられたこの本の中の一部として,改めて読み直したら,あまりに真摯な議論で,圧倒されました。
 図書館資料論の授業を数年ぶりに今学期,担当していて,先日,この7章をリーディング課題とした。それとあわせて,安井一徳さんの「「無料貸本屋」論」(田村俊作,小川俊彦編『公共図書館の論点整理』勁草書房,2008(図書館の現場7).の第1章)もリーディング課題に。で,おととい,授業が終わったあと,ある学生さんが,安井さんの文献の,「貸出が著作者や出版者に経済的損失をもたらすという問題意識」に対する「損失否定型」(『公共図書館の論点整理』p.25)のところのいくつかの引用部分を指して,"こんな言い方って無いだろう",という趣旨の意見を私に伝えにきてくれた。そうだよ,そんな言い方は無いよね!!引用は,一部が切り取られたもの,ということも彼はちゃんとわかりつつ,それでも,この言い方は変だろう,って二人で話した。
 図書館は,図書館だけで存在しているわけじゃない。社会の中に存在しているし,特に日本については,出版はたまた本に関わっている人,強い関心をもっているは,いろんなところにいて,吉田さんがおっしゃったように,日本の読書空間は多元的なんだよ(このことは以前も書いた)。そこを図書館関係者は認識しておかないといけないんだと思う。図書館は私は特別な機関だと思う,独自の使命/役割をもつと思う--だけれども,人びとは,図書館だけで情報行動のすべてを行っているわけじゃ,当然,ない。ま,こんなことは多くの人が認識しているとは思う。だけれども,安井さんも最後の方で書いているように,無料貸本屋の「論争に参加しなかった沈黙する勢力の存在」が図書館界にはたぶんあって,私はその人たちが,きちんと声を出すべきだと思うんだよね。黙って日常の業務を誠実に遂行するだけじゃなくて,図書館の使命やあり方を多くの人に誤解されたりしないために,私たちはきちんと自分たちの考えを語り,伝える必要があると思う。選書はたまたメディアや情報の評価の力は,私たちのプロフェッションの専門性のコアだ。また,実際,多くの図書館はちゃんと選書をしているように思う。ただ,それを一般の人にわかりやすくは,説明できていないんじゃないかな。もっとも,やぶへびにならない説明をするって,選書については難しいよね。(・・といったところで,情報の評価に関する連続講座の宣伝をば。第2回は今週の土曜日です。)
 話がどんどんそれていきましたが,『理想の図書館とは何か』の中で,六本木ライブラリーが言及されていた。この会員制図書館と公共図書館の違い,が語られていて,ふむふむと。このライブラリーの設立の理念がここに見つかったんだけど,それこそ,理想の図書館(ライブラリー)の追究の取り組みではあるのね。2003年の開館以来,ずーっと気になりながら,行ってなかったのを反省。そのうち,学生さんたちと行こうと決意しました。それにしても,この森ビルがやっているアカデミーヒルズという取り組み,いろいろとおもしろそうなものがある。来月の,六本木アートカレッジ,行きたいなあ。幅さんのお話,聞いてみたい。彼の活動(BACHのウェブページのここにまとまってる)を見ていると,それこそ日本の本の世界の多元的なさまを目の当たりにする思いだよ。。日本では図書館専門職,司書って何がその独自の専門性なんだろうね,とほんとうに考えさせられる。この”勤労感謝”の日に本学ではふつーに授業が行われて会議が行われるという事実。。