アバディーンの図書館

 図書館情報学のオンライン・プログラムを提供しているRobert Gordon Universityで教育の実態についてインタビュー調査をするために、スコットランドアバディーンに行ってきました。アバディーンに3日、滞在した間に訪れた図書館について、ここにも少し書いておきたいと思います。ちなみに、この大学の創立者であるRobert Gordonさんという方はですね、昨日知ったのですが、今のポーランドグダニスクDanzig)でビジネスで大成功して富を作ったという方だそうで(参考;英語のページです)ポーランドに寄ってから調査に来た私には奇妙なご縁と感じられました。スコットランドって、フランス、ポーランドなんかと歴史的に深いつながりがあるのですね〜
 学校図書館は2館、訪問しました。ひとつは市内中心部にある公立の中等教育の学校(6 year comprehensive secondary school)で、生徒数は約900人の学校です。もうひとつは、インターナショナル・スクールで、生徒数は300人くらいだということでしたが、アバディーンは石油の街なので、石油ビジネスが盛んな時期は500人だったこともあるとのことでした。ともに、正規・専任・専門職ライブラリアンが配置されていました。公立学校の図書館では中学生の授業を見学させてもらい、インターナショナル・スクールではプレスクールの授業を見学させてもらいました。いわゆる読書/図書の時間のような授業でした。
 公立のこの学校図書館のライブラリアンの方は、元・英語教師でした。学部卒の後、最初はトルコのインターナショナル・スクールで教えていたそうです。そして、アバディーンに戻り、図書館学のpost-graduate(学部卒で入学可)を経て(修士号までは取らなかったそう)今のポストを得た、ということでした。彼女の学生との関わり方は、私の目には教師そのもの!ちょっとリベラルな、お母さんのような、お友だちのような先生、という感じです。生徒たちも彼女を教師の一人とみなしているように見えました。
 そこで、いかにも日本の学校図書館研究者の質問かもしれませんが(笑)、知的自由(日本の図書館関係者は「図書館の自由」と言うかな)について聞いてみました。「生徒は買ってほしい方のリクエストはしてくる?」「してくるわよ」。「これは買えないなあ、とかこの学校図書館には適切じゃないなあとかいったリクエストもある?ハリー・ポッターキリスト教の親の反対があるから読ませられないとか、無いの?」「Umm…let me think…」で長い沈黙…「記憶にないなあ。ハリー・ポッターも買っているわよ。そういえばそれにはおもしろい話があって、ハリー・ポッターを家に持ち帰れないからって学校図書館で読んでいる女子生徒がいて。親に怒られるからここで読んで帰るって。原理主義の親ね。私は生徒が読むかどうか、で買っている。読むだろうと思うものを入れるわ」。「性的な表現、暴力などは問題にしない?」「ううん。オカルトだって、ほら、入れているし。あのね、生徒たちは、if she thinks she isn’t ready for it, she won’t read it. if she feels uncomfortable with the book, she would probably say “this isn’t mine” and return it to the library.(もし彼女がその本を読む状態になっていなければ読まないだろうし、もし本を読んでて不快な感じがすれば、「これは私のじゃない」とたぶん言ってきて、返してくるわよ(注:この会話は、私の記憶から英語を起こしておりますので、表現の細部は違っていた可能性があります)」。おーー、生徒がmatureだ(成熟している)。そして、先生は生徒を信頼しているなあ。
 ただし、「図書館のコンピュータでゲームはダメ」だそうです。学校のパソコンには以前はフィルタリングソフトが入っていたのだけれど、今、何か政府の事情(コンピュータのシステムの変更中みたいでした)で入っていないそうです。ただ、以前、入っていたときに、コンピュータでゲームをしているのを見つけると、カウンターのPCから、その生徒の遊んでいるパソコンのゲームを遠隔操作で止めて、そうすると生徒が「あれ?」となるので、カウンターのPCから、生徒のPCの画面に「なにやってるの?」とメッセージを送ると、「え?なにこれ!」と生徒が驚いて、というのがほんとにおかしくて!とライブラリアンの彼女は笑っていました。「フィルタリング・ソフトが入っているのは生徒たちにあらかじめ言っていたの?」と聞いてみたのですが、まあ、モニターされていることに気づいた生徒がびっくりするっていうのだから、してたわけないですよね、この問いは流れました。図書館内のパソコンの状況をそこまで管理できる、覗くことができるという話ですから、知的自由の視点から言うとどうなのかなと思わなくもないのですが、ライブラリアンの彼女は教育の場で、決まりごとがあることなのだから、まったく当然という感じでした。図書に話を戻して、「ちょっと変な本ばかり読んでいるなという生徒がいたら、他の先生に言う?」と聞いたら、肯定的だったので、「何を借りたかも言ってしまうの?」とあえて突っ込んでみたところ、「何を借りたかということだけではなくて、行動として心配なことがあれば、適切な先生に連絡しておくのは、当然のことよね」ということでした。生徒の利用記録の守秘義務は、学校図書館における知的自由との関わりではすごく難しい問題だと思いますが、このライブラリアンの彼女に関して言えば、基本的には教育スタッフの一人として、行動するのだな、と理解しました。
 学校図書館のコレクションについて、日本の中学生にあたるクラスを読書の時間(英語の授業の一環)として学校図書館に連れてきた英語科男性教員にも聞いてみたところ、おもしろく読むならなんだっていいさ、という感じでした。とにかく、このクラス二十数名の中に、入学時に6歳程度の英語力と判定された子から、16歳程度と判定された子までいるのだから。とにかく読めるようになってほしい、と言っていました。この男性教員は、ライブラリアンの彼女のことを、みんなが忙しくなるようにする人なのだよ、と、笑って言っていました。ライブラリアンの彼女はこの学校に来て5年になるそうですが、この間、他の教員たちに、information literacyからなにから、いろいろ提案してみたそうです。そして結局、Accelerated Readers(イギリス版のHP)を導入したそうです。このシステム(商品)については、たしか以前もブログで書いたことがあるのじゃないかと思いますが、私が20年前にハワイ大に留学して図書館実習を3か月間、現地でした際、隣の中学校で導入がはじまったところで、他のライブラリアンたちが、これからはinformation literacy instructionの時代なのに、そんな古典的な読書推進のシステムを入れるなんて、という感じで批判していたのを聞いたりもしました。私も、そういうprogressiveな人たちに影響されて、なんじゃこりゃと思ったのですが、実際、広まったのですよね。まさかスコットランドでこれがうまくいっている例を、20年後に見るとは。私はほんとうに、先の読めない人間ですわ。。。
 Accelerated Readersは、英語科の先生たちといっしょに導入、実施しているとライブラリアンの彼女は考えているようでした。数年前までは違ったらしいのですが、最近は、少なくともフィクションについては、英国で出版されている、生徒の読むような本のほとんどがこのプログラムに導入されていて、読後のテストもあるので、買う前に確認したりすることも無くなった、とライブラリアンの彼女が言ったとき、英語科の男性教諭もどういう本が入っているかをある程度知っているような口ぶりで同意していました。子どもたちは、本を読み、テストで100点を取ると、カウンターで星をもらい、自分の名前を書いて、この写真の夜空に星を付けていく(けっこう無邪気に嬉しそうに)。また、いっぱい読んでテストに受かってという子の上位者ランキングは、学校図書館内の写真右手の掲示板だけでなく、学校の入口近くの掲示板にも貼りだしているそうです。
 そして、ライブラリアンの彼女が、午前の15分休みに、教員のお茶のお部屋に誘ってくれました。ソファがいっぱいあって、コインでお紅茶とスコーンを買って、教員たちが一息ついていました。男女半々くらいだったかなあ。来ない先生もいるけど、ここに来ると、いろんな人と出会えるから、それに学校図書館の専門職って学校に1人しかいないくて孤立してしまいがちだから、私は来るようにしている、と言っていました。この間、学校図書館には鍵を閉めてしまっていて、以前は開けたままにしていたのだけれど、生徒たちがめちゃくちゃにするので、もう閉めることにしちゃったの、と言っていました。お茶を終えて戻ったら、次の授業が学校図書館で行われるクラスの生徒数名が学校図書館の前で待っていました(笑)。
 「社交的(social)なのねー」と問いかけたら、「学校図書館はsocialな人しか務まらないわよ」と。「学校図書館に勤める人で、socialじゃない人はいないの?」と聞いてみたら、「図書館情報学を学んでいたときにsocialではなさそうな人もいたけど、そういう人は学校図書館は選ばなかった」と言うことでした。「教師の仕事が嫌で、学校図書館に移ったの?」という質問には、「ううん。教師でよかったのだけれど、学校図書館の仕事がしたくなったのよ。ただ、教師だったとき、採点(scoring)は嫌いだったわね。」「評価(evaluation)のこと?」「うーん。ずっと採点(scoring)しているのは、嫌だった」と笑いながら、言っていました。英語科はテストがまだまだ多いのかなと思ったりしました。
 彼女は、私に、できるだけ日常の自分の仕事を見せてくれようとしていたので、観察していたところ、生徒が本を次々返しに来るのに対応しながら彼女は「Do you like it?」などと必ず、本についての声かけをしていました。そして、次々、イベントをしかけているようでした。英語科の教員が彼女のせいで忙しくなる(笑)、と言うように、この日の授業の後半では、World Book Day(どうやら日本の世界本の日(=世界図書・著作権デー)が、日本とは違い、英国では3月第1木曜日になっているらしい)のイベント、「Design A National Book Token Competition」に誘っていました。生徒たちの中で、静かに読書をするのに飽きた子たちは、すぐにこのワークシートを取りに行って、ブック・トークン(図書券のようなものですかね)のための絵を描きはじめていました。そしてもうひとつ、彼女独自のBook Hunt(本探し)のイベントも企画していて、それに生徒たちを誘っていました。オーサー・ビジット(著者の招へい)イベントもしているそうです。
 一人でいろいろ準備して、実施して、よくやっているなあと思いました。分類、受入業務、配架もすべて自分でやっているそうです。「Library Clubはないの?生徒に手伝ってもらわないの?」と聞いたら、「クラブはない。生徒は以前、手伝ってもらっていたこともあるのだけれど、カバーかけにしても、配架にしても、きれいにできないし。生徒たちが一番やりたいのは、カウンターに座って、スタンプを押すことなのよ!それに、カウンターに入れるというのも、いろいろ置いてあって、気になるし」とのことでした。日本の先生なら、例えばカバーなんかは、汚くなっても、何度か練習させて、きれいにできるようになったら手伝わせてしまうような気がしますが、どうかなあ。まあ、コストのかかる話ではありますよね。

 さて、この翌日に行ったインターナショナル・スクールでは、プレスクールから11歳までは毎週、クラス単位で学校図書館に来て、ライブラリアンの読み聞かせやちょっとした調べもののワークをして、本を借りていくそうでした。12歳から14歳は二週間に一回、クラス単位で学校図書館に来て本を借りていく、そして14歳から18歳は、クラス担当の先生のリクエストに応じて、ライブラリアンがクラスに出向くということでした。このプレスクールの読み聞かせの時間を見せてもらったのですが、すっごくかわいかったです。一般的な読み聞かせでした。その後、借りて帰る本を探す時間がありました。子どもたちの中に、英語以外の本を探したい子がいたら、そのコーナーにライブラリアンの彼女が連れて行っていました。こういうふつうの読み聞かせの次には、ちょっとした調べものをさせる機会ももっているそうで、例えば、6歳のクラスに、「動物たちは暖かいところで生きられるか」という課題を出して、子どもたちが特定の動物が生きられるかを学校図書館で図書で調べる、といったことをしているそうです。でも、特定のプロセス・モデルを教えるというようないかにもの情報リテラシーの授業はやっていないとのことでした。先生たちに頼まれれば、著作権を教えたり、引用指導をしたり、するけれど、教科の先生たちもけっこう教えられるのよね、とのことでした。「それって、スコティッシュの先生?」と聞いたら「うん。あとアメリカ人とかね」ということだったので「アメリカ人の方が情報リテラシーを教えられる?(笑)」と聞いたら、「それは人によるわね。アメリカ人だからとかスコティッシュだからとかじゃない」と。
 彼女は学部で哲学と文学を学んだ後、大学図書館で1年間働いて、そしてロンドンで図書館情報学修士号を取得し、タイでインターナショナル・スクール学校図書館に勤めた後、アバディーンに来たということでした。インターナショナル・スクールの生徒の多様性が好きで、今の学校が生徒の年齢に幅があるのも楽しいと言っていました。一人で運営責任をもっていて、のこり、15人くらいの母親のボランティアがいて、毎日2、3人が手伝いに来てくれているということでした。ボランティアの人たちの仕事を決めて、用意して、指示をしてというのもけっこう大変そうだなと思いました。この彼女も、年に1回はオーサー・ビジットをしているということでした。
 アバディーン学校図書館では、自分で自分の読む本を見つけられるようになるというのがすごく重要だと考えられているのだな、と思ったのが、左の写真のミニ掲示を見たときでした(もっと小さい子たちの書架にも似たようなミニ掲示がありました)。これって、前述の公立のライブラリアンが自分で読むものは自分で選ぶでしょう、という趣旨の発言をしたことと一致する考えに基づいているなと思いました。小学生に、1ページに5つ読めない漢字があったらそれはあなたには難しい本だよと教えるとかいった方法は日本にもあると思いますが、その後、いかに本を読み続けるように、読書材の選択方法を教えていくかですよね。私は、大学にいて、しばしば、「先生、何を読めばいい?何かおもしろい本を教えて」と言われていて、いやその年の人に本を薦めるって難しいよね、私の専門分野じゃなくて、もっと気軽な読み物のことを言ってるみたいだしなーと思っていました。本を薦めるって、相手を知らないとできませんしね。こちらのインターナショナル・スクール学校図書館では、背に「Mystery」とか「Romance」とかいったシールを貼っていました(右の写真のように)。これも、生徒の図書選択のための工夫だそうですが、厳密なものではなく、この本はミステリーだな、とライブラリアンの彼女が判断して、シールを付けていると言っていました。これは、他の学校図書館の実践で見かけて、真似してみたら有効そうなので、継続していると言っていました。

 このほか、アバディーン公共図書館の中央館(Aberdeen Public Libraries Central Library)、Robert Gordon University Libraryアバディーン大学のKing’s CollegeのSir Duncan Rice Libraryに行ってみました。公共図書館はすごく充実していると思いました。スコットランドイングランド公共図書館の違いがわかっていないのだが、前川恒雄さんたちが英国の図書館を参考にしたというのもわかる気がしました。より歴史があり、伝統的な図書館観がちゃんとあって、日本人にはアメリカの公共図書館より馴染みやすいのじゃないかなと思いました。大学図書館は、Robert Gordonは新しい大学だけあって図書資料は少なかったです。Sir Duncan Riceは、ものすごい人が出入りしていて、ネット上でも大好評だったので、イザと思ったのですが、学生IDで入館を管理していて、私の方も時間がおしていたので、一階だけ見て出てきました。
 一階では、自動返却機が動いていました。わたくしが現在勤める大学では、自動貸出機はあっても、返却作業は人が一冊一冊をチェックして行っていて、時にoffensiveな印象を受けるので、もう返却も自動でいいよ、と16世紀から続く大学で自動返却機が動いているのを見て、改めて思ったのでした。。。人間を置くべきところとはどこか、ということなのですよね。日本では、妙なところ(要するに単純作業;貸出・返却のカウンター業務は単純作業ではないという議論もあるとは思うが、それは今の大学図書館や中規模以上の公共図書館のカウンター業務の現実からかけはなれていると私は思う)に人間を配置して、人間の思考や専門性の求められる部分がすっぽり抜けていたりする。なんで、単純作業に人をしつこく置いて、専門性が求められるところに誰も置かない、という判断をするのかなとしばしば不思議に思います。
 最近、私の自宅の最寄り駅の東急スーパーが、レジに自動精算機を導入したのですね。ところが、商品のスキャン(スキャンして違うカゴに移す作業)は人間がやっている、つまりお客を信頼していない。で、清算だけ、機械にお金を入れさせる、つまり、今度はレジ係のお金の取り扱いを信頼していない、ということですかね。わかりませんけど、はじめて見たとき、気が狂いそうになって、「なんじゃこりゃ!もう来ないかもね!」とつぶやいてしまいました(笑)。アマゾンのレジ無し店舗、Amazon Goを知ってるのかね(知らない方は絶対にgoogles先生に聞いてくだされよ)、東急スーパーの上層部は。。。なぜ自動化するのか、どこを自動化するのか、何がコストなのか、どこでペイするのか、考えろよ!図書館も同じ。どこがコストとして許されて、どこで価値が生まれるのか、新しい機器、プログラムの導入にあたって、こういう計算を適切にしてほしい。図書館に専門職を非専門職を置くコストとそれによってもたらされる価値。もちろん、図書館の場合、儲かるということではなく、社会にもたらされるあらゆる価値を考えてみる必要がある。
 アバディーンの図書館については、これくらいで。