アウシュビッツ。。。

 なるべく感情的にならないで、もう少しだけアウシュビッツについて書いておこうと思います。
 こちら、アバディーンに来てから、2つの学校図書館と、公共図書館大学図書館を1館ずつを見学しました。明日、最後に1館、大学図書館を見学するつもりです。これらの見学については改めて、ブログに書くつもりでいますが、これまでに見た2館の学校図書館と1館の公共図書館で、歴史のコレクションの開架では、第二次世界大戦がどんなコレクションになっているのかを見てみました。ホロコースト第二次世界大戦の資料でかなり重きを置かていることがわかりました。原爆投下についての資料もすべての館にありました。特にホロコースト第二次世界大戦の他の問題よりも、学校図書館では重きを置かれていてるようでした。私は昨日まですっかり忘れていたのか、もしくはちゃんと勉強していなかったのか、なのですが、イギリスでは、The Kindertransportというプロジェクトが第二次世界大戦中にあって(参考資料として、イギリスのThe Holocaust Memorial Day Trust (HMDT)という団体による説明のページ(英語です))、約1万人のユダヤ人の子どもたちがドイツ、オーストリアチェコスロバキアから(親たちから引き離されはしたものの)英国に呼び寄せられて、命だけは助かったということがあったのでした。このプロジェクトの意義を、英国で出版されている子ども向けのホロコーストに関する本では必ず書いてるようです。当然ですかね。
 アウシュビッツを訪問し、その後、アバディーンの図書館でホロコーストに関する本を何冊か読んで思ったのは、「systematic murder」という言葉の重要性です。この「systematic」という言葉がすごく重要なのだと思います。日本語のホロコーストに関する本にはここをきちんと訳せてというか、書けてというか、いないものが少なくないのではないかと思ったりました(この私の理解が間違えていたら、ご教示ください)。ホロコースト(the holocaust)は(ユダヤ人の)大虐殺(mass murder)のこと、という説明が日本語ではすごく一般的だと思うのですね。でも、アウシュビッツに行って思ったのは、これが「systematic」な大量虐殺であったということが、誤解を恐れずに思い切って申しますが、私の考えでは、他の大量虐殺と違うのだ、ということなのです。「ユダヤ人問題の最終的解決」("Final Solution to the Jewish Question":"die Endlösung der Judenfrage")は、近代的な思考によって人間によって考え出された、他の特定のグループの人びとの大量虐殺のシステムなのです。。。これがシステマティックであったことが、近代的であると言え、近代の恐ろしい部分を象徴しているように思います。
 アウシュビッツでは、到着と同時に、人びとが、労働力として価値があるとみなし生かしておく人びとのグループと、そのままガス室で殺されるグループとに分けられますが、ここで生かされた人びとについては一人ひとりについて記録カードが作られていました(写真参照)。ただ、後には、カードを作らずに、人間に番号の入れ墨をして管理するようになったと聞きました。この記録カードが、近代の図書館の目録とあまりにも似ていることを指摘するのは、不適切でしょうか。。。この記録カード以外にも、あまりもきちんとした記録管理がされていたらしいことに、私は驚きました。あまりにも官僚的な仕事ぶりなのですよ、、、そして、戦争末期には、記録を処分することも忘れていませんでした。多くの記録が失われたということです。
 アメリカでは、ユダヤ人の研究者やライブラリアンにしばしば出会います。これらは彼らが悪いとは思っていない仕事なのだな、と思っていました。『刑務所図書館の人びと:ハーバードを出て司書になった男の日記』の原著者(主人公)も、ユダヤ人ですね。もっとも、落ちこぼれの(笑)。この本の中で、主人公がいかにアメリカのユダヤコミュニティで落ちこぼれていくかが書かれているのだけれど、アメリカのユダヤ人のここ二十年くらいかなー、の若者の実態が書かれているなあと思いました。ユダヤの価値観であるとか、ユダヤ人同士で結婚しなければという雰囲気であるとかに、ある程度の年齢になると葛藤する。親に反発し、ユダヤ人コミュニティに反発し、ユダヤ人であるということについて考える。とある、ユダヤ人男性に言われたことがあります。キミに興味がある。というのは、自分はユダヤ人というマイノリティで、キミは日本で1パーセントのカトリック信者というマイノリティだから、と。十数年前かなあ、けっこう本気で言ってるように思えたから、びっくりしました。信仰の問題でマイノリティだという共通点で近しく感じるとは、と。でも、私もここ何年かで、彼の発言の意味が少しずつわかってきたような気がしています。
 最後にもうひとつ。アウシュビッツは、アウシュビッツ=ビルケナウ博物館としてポーランド(国)が管理しているのだそうです。この博物館のHPには、簡単なものながら、日本語のページもあります。ここから、現地で購入できる2つの冊子のうちの1つが無料で、PDFでダウンロードできます。この中に「博物館か記憶の場か」というコラムというかがあります。アウシュビッツを博物館(museum)と呼んでよいのか、という議論があるというお話です。はじめて、アウシュビッツが博物館という名称だと聞いたときに違和感をもったのですが、このコラムをやっぱり議論があるのかと思いました。「博物館」とは何か、と考えさせられます。
 ではこのくらいで、アウシュビッツの話は終わりにしましょうか。

(2017.3.3追記)ところで、私たちはお会いできませんでしたが、現地で公認ガイドをしている中谷剛さんのこの記事いいです。また、私たちが旅行中に、NHKが放映したこの番組もすごくよかったと複数の人から情報をいただきました。再放送もあります。