映画「ブレンダンとケルズの秘密」

 「図書館概論」や「図書・図書館史」で,中世の図書の世界を示したい,写本,写字生を具体的に見せたいというとき,「薔薇の名前」の映画を見せている先生はけっこういるのではないかと思う。20年ほど前になるが,私が学部生だったときにも何かの授業で一部を見せてもらったと記憶している。作製されたのは2009年なのであるが,日本でもこの夏,公開されることになった「ブレンダンとケルズの秘密」というアニメを公開早々に観て,これは,写本の世界だけでなく,中世キリスト教社会において,書くこと,描くこと,書かれた聖書,読むことがいかなる力をもつものと考えられていたかを感じることのできるいい教材になるのではないかと思った。
 最近,テレビでよく,日本に来た外国人に,なぜ日本に来たかを聞くシーンを見かけるが,「日本のアニメが好きで」という答えは少なくないようだ。先日,たまたまテレビをつけたら「"千と千尋の神隠し"が好きで」と答えている女性がいた。バルセロナから昨年,本学にいらしていたJoanも,日本をジブリ映画を通して身近に感じる人が今のヨーロッパ(の特に子ども)にはたくさんいるのではとおっしゃっていた。ちなみに私はジブリ映画はどうも好きになれず,ご推察のとおり,ピクサーが好きです。なんて話しながら,ジブリの中でまあまあ好きなのは,「ハウルの動く城(Howl's Moving Castle)」かなーなんて生意気なことをJoanに言って,後から調べてみたら,これが英国の児童文学作品に基づくということで,自分の児童文学に対する知識(もしくは教養)の欠如と,ジブリのオリジナル映画ではなかったことと,で二重の衝撃を受けてしまった。Joanが言っていたのは,ジブリは,ヨーロッパの人たちにとっては,「ディズニーではないアニメ」なんだよね,ということ。「千と千尋の神隠し」なんかはみんな好きだが,でも,八百万の神,のようなことは一神教文化に育った人にはわからなくて,何か素敵な感じがするけれど,ほんとうの意味ではよくわからない,というものだと思う,といったことを話してくれた。「ブレンダンとケルズの秘密」を観終わったとき,このJoanの話がすぐに思い出された。私たちは,この映画を観ても,キリスト教文化圏の聖書・修道院起源の図書および図書館の伝統の意味をほんとうにはわかっていないのだろうなあ,と。
 私は,数年のうちにサバティカルに出たいと夢想するようになって久しいのだが,アメリカの図書館情報学大学院には,iSchoolのような情報学に軸足を移していこうとする動きが目立つが,いっぽうで,book art(図書の芸術,技巧,作品)への関心を改めて深めようという動きもあるような気がする。というのは,図書というものが,懐古的なメディアになりつつあるということなのだろうが,それだけでなくて,これからの時代,あえて「図書」という形態で出版するというとき,その手触りや重み,表紙の美しさ,フォント,レイアウト等々が,図書なりの印刷物がマスメディアとして出版されてきた時代以上に,こだわりをもって選択されないと,その「あえて」のメディアの選択を他者が理解してくれないだろう,ということがあるのだと思う。今,まだ日本では,出版点数はそれほど減っていないと思うが,業界としては大変厳しい中で出版点数が維持されているということは,一点一点の図書の質は下がっている可能性があるわけだよね。しかし,遅かれ早かれ,(コミックにとどまらない)電子書籍の普及は日本でも起きるのではないかと私は思うのだよねえ。そのとき,特にハードカバーで本を出すという文化を残すということになると,図書というアートを見つめなおす必要が出てくると思うのです。そう考えると,information managementのことを学びに行くのもいいけれど,book artのことを学ぶのもいいなあと思われて,私個人は懐古趣味的なところがあるので,book artの方がおもしろく学べそう,となるとヨーロッパという選択肢も…などとぐるぐると考えてしまうのだが,はてさて。
 そういえば,最近,他に観た映画に,「ローマ法王になる日まで」があって,南米の歴史に俄然興味が湧いてきて,とりあえずと思い,『教皇フランシスコ キリストとともに燃えて:偉大なる改革者の人と思想』という本を購入して,読みはじめてみた。一人の人を通して,アルゼンチンの戦後史をここまで知ることができるものかという感じの激動ぶり。いっぽうで,別の伝記,いや,自伝ですが,も最近,読んだ。『エフゲニー・キーシン自伝』。こちらからは,ロシアの戦後史の一端を知ったように思ったが(キーシン様は私と1歳しか違わないはずだが,なんと濃厚な人生を歩んでいることよ!),同時に,特に幼少期の彼の周囲のロシアの人たちの気質というか,愛深さというのかな,それをしみじみと感じましたわ。ロシアの人びとのこういうあたたかさはほんとうに好きだ,と思うと同時に,子どものころ,ロシアの民話,児童文学をやたらと読んでいたのを思い出し,自分の一部がロシア文学によって形成されているような気がしてきた(笑)。改めてトルストイの民話でも読み直すかな〜